冷たい心臓 (追跡者編)
真選組を抜ける訳にはいかないから、と 十四郎は銀時と一緒に住むことはしなかった。 「おまえは、飼い犬にはなれないよ」 銀時は、そう忠告した。 一緒に暮らすことはなかったが、彼は いつも十四郎の近くにいてくれた。 人の目が怖かった市中見廻りも、銀時に声を かけてもらうとほっとしたし、事件の現場で 緊張している時も、彼が見守っていると感じた。 見守っているだけならいいのだが、時々、 援護してくるのには、はらはらした。 銀時は自分を大切だと言ったが、十四郎に とっても銀時は大切な人となっていたのだ。 まあ、やられるような、柔(やわ)な男ではなかったが。 昼間会えない時は、夜中に銀時が迎えに来る。 以前は、夜の闇に自分の本性が 暴かれるような気がして、怯えていた。 しかし、銀時に誘われて夜の散歩に出てみると、世界は一変した。 夜の美しさと、闇の中にも光があるのだと知った。 月の輝きのまぶしさに目を細め、 星のまたたきに宇宙(そら)の神秘を想った。 もっと心がざわつくのかと思ったのだが、さえざえとした 夜の中に体を浸していると、却って、穏やかに心は澄み渡った。 隣に、銀時がいてくれるからだろう。 自分が闇ならば、光は銀時かもしれない、と十四郎は考える。 ある晩、銀時との散歩から帰って来て、音を たてないように自室に入ると、人の気配がする。 「誰だ?」 十四郎は身構える。 「トシ」 自分を呼ぶ声に、「近藤さんか、脅かすなよ」と苦笑いした。 だが、近藤からは笑みは漏れず、 「こんな夜中に、どこへ行っていた?」 と、言葉を硬くして訊いてくる。 「眠れないから、ちょっと散歩に、な」 「誰と?」 近藤は、がっと、十四郎の腕を掴んだ。 「おまえ、この頃、俺達と距離を置いているよな」 「痛ェよ、近藤さん」 近藤は、激しく十四郎を揺さぶりながら怒鳴る。 「おまえ、俺から離れるつもりじゃねェだろうな!」 近藤のこんなにも横暴な顔を見たのは、初めてだ。 十四郎は、先ほど銀時からもらった 幾ばくかの温もりが、消えていくのを感じた。 別れる間際、銀時がこの身を抱きしめてくれた。 その手に、少し力が入った。 そこに彼の激しい感情が動いた ことを、十四郎はわかっている。 「ご、ごめん」と、慌てて体を離そうとした銀時。 それを追った十四郎の手が、銀時の頬に触れる。 「十四郎」 彼が自分をそう呼ぶのにも、慣れてきた。 首を動かして、銀時は十四郎の手の平に唇をつけた。 十四郎は、どきどきした。 心臓の鼓動が、温かさを通り越して熱く感じた。 それはオオカミの血の熱さではなく、 深く細やかな情というものだろう。 なのに今、近藤に乱暴に抱き寄せられると 恐ろしくてしょうがない。 しかも興奮したのか、首筋に吸いついてきた。 すぐに、鋭い痛みが走った。 噛みつかれたのだ。 十四郎は、思いきり近藤を突き飛ばす。 首に手をやると、赤く指が染まった。 「な、何なんだよ?近藤さん」 ぴちゃり・・・心臓が冷たく胸に張りつく。 叫びたいのを、手を口に当てて我慢した。 近藤が、のろのろと立ち上がる。 「おまえが誰とつき合おうと勝手だがな、 軽々しい行動は慎め!」 「仕事はちゃんと、やっている」 「野良犬だった」 「え?」 「おまえを拾ったのは、この俺だ」 吐き捨てるように言って、近藤は部屋を出て行った。 十四郎はぼう然と、立ちつくしていた。 近藤は、飼い主は自分だと主張し始めたのか。 折しも、嵐が近づいている夜のこと、大きな捕り物があった。 松平片栗虎の指揮の下、真選組と見廻り組が 総動員で、ある洋館を取り囲んでいた。 テロリスト達のアジトである。 それぞれの隊に分かれて、一斉に建物の中に突入した。 続々と破壊主義者達を逮捕して、警察官達が帰って来る。 「副長、局長は?局長は戻りましたか?」 「いや」と言って十四郎が振り向くと、 近藤が率いていった隊の者である。 「どうした?はぐれたのか?」 「停電になった時に」 皆まで聞かずに、十四郎は再び 洋館の中へと飛び込んで行った。 彼の匂いを頼りに、真っ暗な廊下を進む。 横から斬りつけてくる敵を、 反対に斬り伏せながら近藤を捜す。 血の匂いがきつくなってきて、十四郎は極度に緊張してきた。 心臓に手を置いて、自分の中の獣をなだめる。 近藤の匂いを強く感じ、十四郎は走り出した。 と、床に穴が開いている。 抜け道だ。 近藤は、知らずに踏み抜いたらしい。 十四郎は迷わず穴の中へ、身を躍らせた。 地面に足が触れた時には、近藤と彼を 取り囲んでいる男達の居場所を掴んでいた。 すぐに柔らかい土を蹴って高く 跳ぶと、頭上から男達に襲いかかった。 暗闇の中、人間達の動きには無駄が多い。 思わず笑みが漏れる。 自分の牙である刀に、振り回されているじゃないか。 血の温かさに、誘惑されそうだ。 ぴちゃり。 心臓が冷たく胸に張りついて、警鐘を鳴らす。 かろうじて、十四郎を人間の心に引き戻した。 「近藤さん、大丈夫か?」 急所ははずしたが、地面に転がって動けない男達の 間を抜けて、十四郎はうずくまっている近藤に近づいた。 「トシか?」 「ああ」 十四郎は、近藤に手を伸ばす。 「どうした?怪我、したか?」 「上から落ちた時に、な」 十四郎は近藤を助け起こし、彼に肩を貸した。 「トシ、おまえ一人か? 警察犬が一緒かと」 「いや」 「そうか、獣のうなり声を聞いた気がしたんだが」 一瞬、十四郎は身を強張らせた。 闇の中で、近藤は何かを見なかったか。 自分の中の獣の本性を。 ・・・もう、真選組(ここ)にはいられない。 抜け穴の出口から、闇の中を走る稲光を見た。 夜の闇には静かな光だけでなく、 激しい光も存在するのだと、十四郎は知った。 だが、闇の中で激しく光ってはならない。 それを追う者に、見つかってしまうから。 近藤の怪我は骨折もなく、松葉杖の世話には なっているが大事には至らなかった。 「近藤さんの怪我が治ったら、真選組を退こう」 あの大捕り物の日から何度も考えてきたことが、 つい、十四郎の口から煙草の煙と一緒にこぼれた。 見廻りを終えて、一緒に組んでいた 隊士を先に屯所に帰したところだ。 近藤の感覚が、敏感になっているように思う。 隊士達の中にも、気がついているものがいるのでは ないか、自分が普通の人間と違うということに。 警察に入ってから、自分が起こした 天人の虐殺事件のことを調べてみた。 驚いたことに、天人どころか村人まで同一犯人、 つまり十四郎が虐殺したことになっていた。 自分の末路を、見たような気がした。 遅かれ早かれ、真選組に迷惑をかけない うちに、自分は消えなくてはならない。 銀時からも、離れた方がいいだろうか。 犯人だとばれた時に、彼にも迷惑がかかってしまう。 彼が自分をかばおうとするのも、怖い。 彼の手を、罪に汚すわけにはいかない。 「何か悩みごとですかィ、土方、コノヤロォ」 言われて顔を上げると、沖田がにやにやしながら立っていた。 今日は銀時の「万事屋」のあるかぶき町 方面の見廻りは、沖田達一番隊であった。 この男も、勘が鋭い。 「何で、かぶき町に? いい人にでも、会いに来たんですかィ?」 そっち方面に鋭いか、とほっとする十四郎。 「そんなヤツはいねェよ」 と、うそぶく十四郎に、 「万事屋の旦那となら、さっき、そこで会いましたぜ」 と、沖田も軽口をたたく。 え、と目を泳がせる十四郎を、わかりやすい人だとからかう。 「旦那と決闘した日は屯所に帰って来なかったし、 それからですよね、あんたが引きこもりを止めたのは」 十四郎は一番隊の隊士達を気にして、 沖田に黙るよう目配せする。 はは、と笑う沖田が、きっと表情を引き締めた。 「何でィ、あんた達は?」 十四郎が見ると・・・驚愕のあまり 口から煙草を取り落としてしまう。 「あ、あんた・・・」 喉から水分が一気に失われ、舌は顎に張りついてしまった。 随分年をとったが、間違いなく十四郎の 生まれ育った村の長が、数人の村人、 年寄りばかりだが、を従えて立っていた。 村人に支えられて、地面に膝をつき、 「十四郎様、お久しぶりでございます。 まさか、生きていらっしゃったとは」 と、村長は深々と頭を下げた。 「こ、こんな所で、困る」 十四郎がやっと絞り出した言葉に、宿を とってある、と村長は先に立って歩き出す。 十四郎の後ろにまわって、村人達が彼を促した。 「土方さん?」 沖田が心配して、声をかける。 「大丈夫だ、古い知り合いなんだ」 十四郎は、振り返りもせずに言った。 でも、と言いかけた時、沖田の携帯電話が鳴った。 「近藤さん、すまねェ、もう一度、言ってくだせィ」 近藤という名に、十四郎は反応したが、 村人達に先を急がされた。 まだ日があるというのに、もう月が出ていた。 銀時を想う。 (ごめん、銀時・・・もう会えない) 小さな旅籠(はたご)の一番奥の薄暗い部屋に、通される。 そこに落ち着くやいなや、 「なぜ、村を捨てたのか」と、村長が責めてきた。 「あの時、俺の部屋に、天人達(あいつら)は 鍵を開けて入って来た」 十四郎は、静かに非難の目を彼に向けた。 「裏切ったのは、おまえ達の方じゃないのか?」 老人はもぐもぐと、口を動かしただけだった。 謝罪の言葉でも探しているのかと思ったら、 漏れてくるのは十四郎をなじる言葉ばかりだった。 「あなたの一族は、外へ出てはいけないのです。 ましてや、あなたは禁忌を犯して獣となり、 再び人の姿になるために天人達を食い殺した」 「無理矢理だった!」 叫んでも無駄だった。 控えている村人達が取り出したのは、その昔、 十四郎を村に縛りつけていた重く冷たい鎖だった。 「若い者達は村を出て行き、残ったのは私達年寄りばかり。 江戸に移り住んだ者が、あなたを見つけたと言ってきました。 最後の村長である私の仕事は、あなたを村へ 連れて帰り、最後の神としてお護りすること」 心臓がぴちゃりと冷たい音をたてて、胸に張りついた。 (村人達は、俺達一族を世間から隠しておきたいのだ。 遠い俺の祖先である少女のことは、 村にとっての汚点なのだろう。 少女の子供達は村人達の罪であり、 彼らの心臓を冷たくするのだ) 十四郎は両手を村人達の方へ、ゆっくりと差し出した。 自分は彼らと、共犯者にならなくてはいけない。 闇の中へ、再び還るだけのこと。 悔しいけれど、こちらの方が現実。 銀時と生きていこうという光は、一瞬の幻だったのだ。 その時、外側から、勢いよく部屋の扉が開かれた。 「なんだ、真選組よりも先に見つけたよ」 「役に立たない連中だな」 「ま、仲間内で逃がされても困るし、よかったんじゃない」 現れた三人の天人達は、特徴のない のっぺりとした顔をしていた。 そのうちの一人の顔には、何か獣の 爪にえぐられたような古い傷があった。 その傷よりも、十四郎を驚愕させたのは、 彼らの異常に白くて長い手だった。 まるで手袋をしているようなその白い手が 冷たいことを、十四郎は知っている。 顔に傷のある天人が、十四郎に近づいて来る。 彼は十四郎の手をとって、自分の傷をなぞらせた。 「憶えているだろ、君がつけた爪あと」 脚への衝撃で、十四郎は自分が崩れた ような格好でひざまずいているのを認識した。 男が自分の手を掴んでいるために、 畳の上に倒れなかっただけだ。 息も止まっていたらしい。 はあはあと、せわしなく空気を とりいれ始めた口が震えている。 握っていた手を放し、天人は十四郎の腰を抱き寄せた。 「あの狂おしい時を、忘れたことはなかった」 男はもどかしいとばかりに、十四郎のマフラーを はがし、シャツを破ると彼のなめらかな肌の上、 心臓の上にその白い手を置いた。 「君も、忘れなかったんだろ?」 心臓が冷たく凍えるよりも先に、熱が体の中を走って行く。 天人達との残酷な記憶が、十四郎の中の オオカミの血を、目覚めさせようとしている。 「銀時・・・」 すがるようにつぶやいたその人の名を、 天人の口がふさいでしまった。 白い手と同じように冷たい唇が、あざ笑う ように十四郎の唇をなぶり、顎を軽く噛んだ。 「これからって時に、悪いんだけど」 「こいつら、何?」 置いてきぼりを食ったような形で、傷のある 天人のそばに立っていた二人の天人が訊いてくる。 それでようやく彼は、村人達を見た。 村長を発見すると、のっぺりとした顔をゆがませて笑った。 「おやおや、今日は本当に、あの日の再現だね。 村長さん、あんた、策士だね。 この子が僕達を殺すことを期待して、鍵を渡したね」 村長は、もぐもぐと口を動かすばかりで何も言わない。 「残念だったね、生き残りがいたんだよ、一人だけ」 と、傷のある天人は自分を指差した。 「仲間の復讐と称してこの国に残ったけど、 日に日にこの子が恋しくなっちゃって」 天人は腕の中の十四郎に、目を移す。 「まるで闇がオオカミの姿をかたどるように、 神秘的で美しい光景だったよ、十四郎君の変身は。 飼い慣らしてみたいと思って、ずっと追って来た」 「話を聞いて、僕達も興味を持ってね」 別の天人が、口を開く。 「宇宙(そら)のように、吸い込まれそうな目をしている」 二人の天人は、同時に顔に傷のある 天人の腕の中の十四郎をのぞきこんだ。 「早くこの体を味わってみたいけど、 手足は縛っておいた方がいいね」 二人の天人は、顔を見合わせて下卑た笑いをもらした。 「さてと、あんた達がいたんじゃ、まずいんだよね」 傷のある天人は、その笑いにはのらずに村人達に言った。 「村人達を殺したのは、僕達だって知ってるんだもん」 言うが早いか、彼は十四郎の腰から 刀を抜くと、村人達に斬りつけた。 畳の上に転がった十四郎の目が、血の色を追う。 「や、やめろ!」 起き上がろうとした十四郎を、 他の二人の天人が押さえつけた。 恐らく、今日のこの時まで、 自分が憎み続けていた村長や村人達。 だが彼らが無残な最期を遂げたのを見て、 十四郎の心を支配したのは哀しみだった。 この人達に愛されなくても、やはり、 彼らは自分の故郷(ふるさと)だった。 血を吸った刀が、十四郎の前に突き出された。 「君が、殺したんだ」 冷たく平べったい言い方だった。 (つづく)