螺旋階段
“美男の殿堂”より
神葉理世先生の「美男の殿堂」の勝手に妄想しちゃいました文章です。 やはり伯爵×姫のCPがいいですね。 他のCPは順調だけど、ココはどうなるのか先が楽しみなので。 (きっと、このままなんだろーなー。姫君次第ですかね) こちらのお話は、もちろん伯爵×姫です。 原作の雰囲気を壊してしまっているかもしれません、 ファンの方は読まない方がいいかも、です。 ごめんなさい。 初っ端から暴力シーンがあるので、苦手な方はお気をつけください。 すみません。 では、大丈夫な方だけどうぞ。 1 「・・・爵・・・伯爵・・・迎えに・・・来て・・・」 手を目一杯伸ばしている・・・つもりだった。 だが、闇のせいだろうか、自分の腕が見えない。 これじゃ、彼のところまで届かない。 × × 「顔、見られたぞ」 「無駄に抵抗しやがって」 「殺(や)るしかないな」 × × 「伯爵、何で来てくれない?」 ああ、そうか、俺、いつも「うぜー」の一言で、 あいつの笑顔、遠ざけてた。 × × 寿司の出前の帰り道、姫野有祐は 三人組の若い男達に襲われた。 男達は、喧嘩慣れしていた。 いや、このような強盗という行為に慣れていたのだ。 あらかじめ下見をしておいたのだろう、 男達は手際良く姫野を人気(ひとけ)のない 空き地へと引きずり込んだ。 獲物の抵抗も計算のうち。 確実にその力を奪う攻撃を加え、 地面に這いつくばらせた。 そこまでは、計画的な犯行と言えただろう。 しかし、所持金の少なさに腹を立てたのか、 暴力に酔ったのか、彼らはぐったりとした 姫野の体を更に痛めつけてきた。 × × 乾ききった地に無理矢理杭を打ち込まれ、 その亀裂が体の隅々に広がっていく、 そんな烈しい感覚に、姫野はのけぞった。 だが、男達に押さえつけられて 痛みを逃すこともできない。 「うっ!ぐ・・・っ!」 亀裂の一本一本を埋めるような男達の下卑た笑い。 「う、わあ、こいつ、ホントに男なのか? すげエ、いい!」 「早く、替われよ」 「声、出させんな、口、ふさげ!」 × × 自分の上で男が動くたびに、 体が地面に沈んでいく感じがする。 どこまでもどこまでも堕ちて行く・・・。 呼吸が・・・苦しい。 伯爵が自分のことを大切にして くれていると、わかっていた。 わかっていて、わざと自分を 粗略に扱って伯爵を困らせた。 「バチが当たったんだ、きっと」 × × 最後の男が姫野の体をがつがつと喰らいながら、 ナイフをその柔らかい皮膚に突き刺した。 2 「冷たい雫が・・・。 きっと、誰か、泣いてるんだ。 伯爵、おまえなのか? 俺・・・ごめん・・・帰るよ・・・ すぐ帰るから・・・泣くな」 × × 男達の姿は消えていた。 けばけばしい街の明かりが、 彼らを手招いたのであろう。 そのはびこる光も雨に濡れて、 どことなくぼんやりとしている。 夜の街の喧騒も、ここまでは届かない。 姫野は見棄てられた人形のように、 白い素肌をさらしたまま動かなかった。 雨が温かな血を、男達の吐き出した 卑しい欲を彼の体から洗い流していく。 だが、決して洗い流せないものもある・・・。 × × 闇の中を、姫野は歩いていた。 帰ろうとしていた。 どこへ? 家へ。 伯爵が、殿下が、皆が待っている 「メゾン・ド・それいゆ」へ。 朝飯、作ってやんなきゃ。 御前は、特に楽しみにしているから・・・。 だけど、家の灯りが見えないんだ。 先ほどから同じ所をまわっているような気がする。 「螺旋階段(らせんかいだん)? 上っているのかな、それとも下りているのか?」 ただぐるぐると、終わりのない階段を歩いている。 「伯爵って、もしかして俺とのこと、こんな 螺旋階段を歩いている感じだったのだろうか?」 伯爵に「愛している」と言われて、慌てて離れた。 自分が怖いのか、と訊かれると ムキになって伯爵に突っかかっていった。 「そんな俺に振り回されて、 伯爵は出口のない螺旋階段を、 下りたり上ったりしていたんじゃないのか」 人の心をもてあそんだような気がして、自己嫌悪・・・。 「伯爵、何で俺だったんだ? もっと素直ないい子、いるのに。 おまえだったら、好きだって言ってくれる子、 いっぱいいるはずだ」 でも、そんな子、現れたら、 「やっぱり俺は・・・寂しいって思うのかな」 姫野の心は、螺旋階段から出られなくて ぐるぐるとまわっていた。 3 寿司屋から「出前に行ったまま姫野が帰らない」 という連絡を受けた時、殿下は嫌な予感がした。 あの責任感の強いお姫が、仕事を 途中で放り出すなど考えられなかった。 それでも、彼に捕まっているのならと 期待して、伯爵に電話をしてみた。 「来ていない」という答えが返ってくる。 姫野のこととなると、自分を 見失ってしまう伯爵である。 仕事もそこそこに、外へ飛び出したらしい。 殿下も雨が降ってきたため、駅前で歌っている 淳哉を迎えに行き、そのまま二人で姫野を捜す。 殿下と淳哉がその空き地に着いた時、 雨の中、伯爵が大きな背中を 丸めるようにしてうずくまっていた。 その傍らからだらりと下がった腕が、 姫野のものであることは推測できた。 異様に白くて、血の気を失っている。 「伯爵」 殿下が、伯爵の方へ歩き出そうとする。 「来ないで下さい!」 悲鳴にも似た声で、伯爵が叫んだ。 「救急車は、もう呼んだのか?」 努めて冷静に、殿下は伯爵に 声をかけながら近づいて行く。 淳哉は姫野に起こった恐ろしいことを 感じとったのだろう、その場を動かなかった。 「救急車は駄目です」 「どうして?」 もう少し、伯爵に近づいて・・・。 「誰の目にもさらしたくないんです」 と振り向いた伯爵の顔に、殿下の足がすくんだ。 いつも温和な彼の怒った顔を、初めて見た。 なんて哀しい顔かと、心が痛んだ。 伯爵の肩越しに見えた姫野は、伯爵の 上着に包まれ彼に抱きしめられていた。 意識を失い出血もしていて、 かなり危険な状態のように見える。 「しっかりしてくれ、伯爵! お姫を早く病院へ運ばないと」 『死んでしまう』とは、言いたくなかった。 殿下は伯爵の肩に手をかけ、強く揺さぶった。 4 「・・・泣くな」 雨の音の間から聞こえてきた吐息のような声に、 伯爵は腕の中の愛しい人を見た。 「姫野くん!」 「ごめん・・・な」 再び意識を失ってしまった姫野。 いつも強気な子の弱り切った言葉に、不安を抱く。 なぜ、自分に謝ったのか。 謝らなければならないのは、こちらなのに。 「僕は間に合わなかった・・・」 大切に、大切に護ってきた。 その肌に触れたい、と恋い焦がれていた。 それを、こんなにもあっけなく傷つけられてしまった。 自分でも戸惑うほどの激しい怒りに、翻弄される。 慣れていないこの感情に、叫び出したくなる。 ひしゃげた自転車。 散らばっている木片は、おかもちか。 救急車が到着し、伯爵は姫野を委ねた。 淳哉が付き添う。 彼の顔が泣きそうで、殿下が優しく頭をなでた。 「お姫を頼むよ、淳哉くん」 淳哉は伯爵にも、不安気な目を向ける。 「伯爵は?どうして来ないの?」 伯爵は、黙って微かに首を横に振る。 更に詰め寄ろうとする淳哉を、殿下がさえぎった。 「淳哉くん、早く乗って・・・ね」 救急車に乗り込んだ淳哉に、伯爵が声をかけた。 「大丈夫。姫野くんは、頑張り屋さんですから」 自分を励ますためでもあったのだが、 こちらを見ている淳哉の目が哀しそうに 揺れたから、失敗したのかもしれない。 救急車を見送ると、 「俺達はこっちだ」 と、殿下が厳しい顔で言った。 姫野から奪ったわずかな金を持って 犯人達が逃げ込んだであろう、 まがまがしい夜の街へと殿下と伯爵は向かった。 ふだんならば、二人が並んだだけでまわりを 圧倒するようなきらびやかなオーラが 放たれるというのに、この時は、 暗く重い決して近づいてはならない 不吉な雰囲気が彼らを包んでいた。 夜明け前、警察署に三人の男が自首してきた。 姫野を襲ったあの三人組である。 目立った外傷はないというのにひどく 怯えていて、取り調べの最中でも 時々奇声を発して正気を失ったそうだ。 5 太夫が軍司の腕に自分の腕を絡ませ、 さあ出かけようという時、 軍司が伯爵も誘おうと提案した。 「さっき、帰って来たみたいですし」 軍司の言葉に、太夫はため息をつく。 たぶん伯爵はまだ一度も、 姫野の見舞いに行っていない。 彼の今までの行動からして、 それはないだろうと太夫は思う。 姫野が退院するまで、つきっきりで 看病するものだとばかり思っていた。 たとえ姫野に邪険にされても。 それが・・・。 「伯爵、いるんでしょ?」 ノックもせずに、太夫は伯爵の部屋の戸を開けた。 そこでまたひとつ、大きなため息が出る。 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の隅で、 膝を抱えてうずくまっている大きな体の外国人。 彼の故郷スウェーデンの湖を髣髴(ほうふつ) させる色を持ったその目は、伏せられたままだ。 そして豪勢な黄金の髪も、どことなくくすんで見える。 「伯爵、一緒に姫のお見舞い、行かない?」 『姫』という言葉に、びくんと伯爵の体が揺れた。 「ほーら、やっぱり姫のことばっかり考えてる。 だったら、ここでうじうじして たってしょうがないじゃん」 「太夫くん・・・」 「踏み出さなきゃ、始まんないよ」 さあさあ、と軍司が伯爵に手を貸して立たせる。 「まっーたく、君達二人はいっつも まわりに気を遣わせて・・・」 と愚痴る太夫は、ちっとも 嫌がっている風はなくむしろ楽しそうである。 「赦せないんです、自分が」 透き通るくらい白い顔に、 暗い影を落としながら伯爵がつぶやく。 「一番大事な時に、姫野くんを 護ってあげられなかった。 無力な僕が、彼のそばにいてもいいのでしょうか」 「何、言って」 「姫野くんに拒絶されるのが、怖いんです」 「それは・・・」 太夫の胸がつくんと痛んだ。 闇の中から、あの記憶が蘇ってしまう・・・。 6 太夫と将軍こと軍司が手を繋いで病室に 入ってきた時、姫野は、日常の見慣れた風景を 久しぶりに見たような気がしてほっとした。 殿下のつてもあって、姫野は個室に入っていた。 後遺症からか、やはり見知らぬ 複数の男達とひとつの部屋にいるのは 恐怖を感じるので、助かっている。 「元気そうじゃん」 と、顔をほころばせる太夫。 いつも自分をからかっては 喜んでいた彼が心配してくれていたのか、 と姫野はちょっと嬉しくなる。 「伯爵も来てるんだけど、入ってもいいよね?」 太夫の言葉に、姫野の笑みが その顔からすうっと抜けた。 返事を聞かないうちに将軍が、 扉の向こうに立っていた伯爵を連れて来る。 自分を見詰める伯爵を、姫野は 正視することができなかった。 気がつくと、病院の白い布団しか見ていなくて・・・。 せっかく見舞いに来てくれたのに悪い、 と思うのに妙に意識してしまう。 「忘れなよ、とは言わない」 その場の気まずい沈黙をそっと手の平の中に 包み込むような、そんな優しいもの言いだった。 「え?」 と目を上げると、こんなに真剣な 太夫の顔を姫野は初めて見た。 「僕だって、未だに闇の中からあの記憶を 引き出してしまうことがあるから」 将軍が心配そうに、太夫の肩を抱く。 「将軍と一緒にいてね、うんと幸せなのに、 時々その記憶が僕に警告するんだ。 『おまえは汚い』って」 将軍の手が前にまわって、太夫の体を抱きしめる。 「何、言って」 戸惑う姫野。 「姫、僕もね、 輪姦(まわ)されたこと、あるんだよ」 7 「おい!」 姫野は将軍の方へ、目を遣る。 気がついて、 「いいんだ、将軍は全部知ってる」 と、太夫が笑う。 「大好きな男(ひと)と両想いになって 浮かれてさ、誘われるままに彼の家に行った。 そこには二人の男が待っていて・・・」 「もう、いい!」 太夫の方へ手を伸ばして、姫野は彼を止めた。 まだ傷が痛む姫野のことを察したようで、 太夫はいったん言葉を切った。 「姫、想いがそこになかったのなら、 そんなのただの事故さ。 知らない男達のために、伯爵との間、 ぎくしゃくすること、ないからね。 だって、そんなの・・・悔しいよ」 ふっと太夫が後ろに立つ 大きな将軍を見上げて、微笑む。 「僕は将軍と出会うまで、暗い考えに 囚われて随分自分のことを粗末に扱ってた。 姫だって知ってるでしょ、僕が何人の 男とつき合おうとも妙に冷めてたの」 太夫は優しい、しかしとまどいも見える 瞳で姫野を見ている伯爵を、 ベッドのそばまで連れて来る。 「でも、姫には伯爵がいるだろ。 ずっとずっと、自分のことだけを見て くれている人が、最初からいるじゃん」 くるりと背中を向けてしまう姫野。 「だから、苦しいんだ」 「姫・・・」 「伯爵・・・さんざん拒絶して、悲しい顔もさせた。 それなのに、あっけなく、俺は・・・ 俺は見も知らない男達に・・・。 罰が当たったんだ」 「姫野くん!そんなこと、思っちゃ駄目です」 ずっと黙っていた伯爵が、姫野の背中に訴える。 「姫野くんは、何も悪いことはしていないんですよ。 悪いのは、全てあの男達なんです。 自分を責めてはいけません」 伯爵の必死の言葉にも、姫野は振り返らなかった。 太夫が将軍を促し、静かに病室を出て行った。 8 姫野は背中に、伯爵の気配を感じていた。 「姫野くん・・・すみませんでした」 「何が?」 緊張している自分の心を隠すために、 返事はぶっきらぼうになってしまう。 「・・・お見舞いに、来なくて」 それには答えることができなかった。 あの現場を見られたというのに、殿下と 名取御前が見舞いに来ても嫌ではなかった。 だが、伯爵にだけは会いたくなかった。 それなのに・・・。 「すみません、帰りますね」 伯爵の言葉に姫野は、傷の 痛みも忘れて振り向いていた。 その手はしっかり、伯爵の腕を掴んでいた。 驚いて見る伯爵。 異国の湖を想わせる冴え冴えとした 彼の瞳に、自分の姿が映る。 複数の男達に辱められた、汚れた自分が・・・。 「あ、ごめん」 伯爵まで汚してしまう錯覚に 囚われて、彼の腕を離す。 姫野の手を追いかけるようにして、 今度は伯爵がその手をとった。 それは少しばかり強引だった。 だから悲鳴を上げてしまったのだろう。 あんな男達の感触を思い出すなんて、最低だ。 大きな悲鳴ではなかったが、伯爵に ショックを与えるには十分で・・・。 振り払われた伯爵の手は、 生気を失って青白く見えた。 振り払った姫野の手は、自分の ものではないみたいに震えていた。 螺旋階段に足をかけ、 ぐるぐるまわり始めた二人。 出会えない互いを捜しながら、歩いて行く。 上ったり、下ったり・・・。 9 僕の太陽が、雲の中に入ったきり出て来ない・・・。 伯爵は突っ立ったまま、ベッドの 上で震えている姫野を見ていた。 「姫野くん、ごめんなさい、僕・・・」 「馬鹿!おまえのせいじゃねーよ」 自分を見てくれない瞳。 親指の爪を噛みながら、 とつとつと言葉を続ける姫野。 「俺が駄目なんだ。 伯爵はアイツらとは違うのに、 触れられて思い出しちまうなんて・・・。 俺、サイテーだ」 黒い雲がどんどん太陽を隠してしまう。 引き寄せたいが、触れられなかった。 怖い思いはさせたくない。 見ていることしか、できないのだろうか。 「姫野くん、僕と初めて逢った日を憶えていますか?」 姫野の頭が、ゆっくりと前に振られた。 伯爵は姫野の心に訴えるように、言葉を置いていく。 「あなたを初めて見た時、僕は 『ラフカディオ・ハーン』日本名は 『小泉八雲』ですね、彼の書いた本の中の 『雪おんな』を想い出しました。 黒いさらさらの髪、白い肌、そして何よりも その目が、ハーンの描いた日本の闇を 表しているようで、惹き込まれました。 でも、『メゾン・ド・それいゆ』で 姫野くんと接する機会が多くなると、 あなたの目に宿っているのが闇では なくて光であると知りました」 伯爵が腰を曲げて、視線を姫野に合わせる。 こちらを見てはくれないが、 彼の耳に囁くように言った。 「ますます、あなたが愛しくなりました」 「そんな、歯が浮くような台詞」 「ああ、姫野くんは自分の美しさに、 ちっとも気がつかないんですね」 「綺麗じゃねーよ、俺は。 おまえ、見たんだろ、男達に なぶりものにされて捨てられていた俺を」 「姫野くん!あなたの美しさは、あの 非道な男達に手折られてはいないのですよ」 こちらを見た姫野の顔は、泣きそうになっていた。 10 自分を美しいだなんて、思ったことはない。 伯爵が自分に向かってそんなことを 言ってくるたびに、姫野はいらいらした。 (からかっているんだ、俺を) だって、彼の方がずっと綺麗でまぶしいのに。 昔読んだギリシャ神話の挿絵(さしえ)の 中に、彼に似たものがいなかったか。 神に愛された少年? それとも美しい男神だったろうか。 そんな彼に「愛しています」 と言われて、嫌悪感はなかった。 でも、彼に背を向けてしまった。 (それなのに彼の姿を見失うのが怖くて、 俺はいつも振り返っていなかったか) そして伯爵の姿を確認して、安堵していたんだ。 今、自分はどうしたい? 伯爵にそこにいて欲しいのか、それとも・・・。 「俺、汚いからさ、だから、 もうやめておけよ、俺なんか」 伯爵の顔から目を逸らして、嘘ばかり言う。 本当は嫌われたくないくせに。 こんな話、したくなかったから 伯爵と会いたくなかった。 「こんなことになる前に、さっさと おまえに抱かれちまえばよかったな」 もしも伯爵と体の関係を持ってから だったら、心はもっと軽かったのか。 「それともさ、男に慣れた体の方が、 受け入れ易くていいのかな」 殴れよ、伯爵。 殴って止めてくれ。 「試しに抱いてみるか?」 そうして俺のことなんか、嫌いになればいい。 「あれ?雨の音がする」 はっと伯爵を見ると、彼が泣いていた。 北の国の湖の色をした瞳から、 綺麗な涙がいくつもいくつも零れていた。 その涙に手を伸ばす、姫野。 彼を傷つけてしまった罪悪感よりも、 いつか彼が生まれた異国の地を訪れて みたいと、そんなことを切望していた。 11 姫野がこちらに手を伸ばしてくる。 戸惑う伯爵。 その手に触れてもいいのだろうか。 「姫野・・・くん?」 姫野の手が、伯爵の目の前で揺れた。 「おまえが・・・泣いているから」 「え?」 姫野に言われて、伯爵は初めて 自分の頬を伝う涙の冷たさに気がついた。 彼が自分自身を傷つけているのが 痛々しくて、それで泣いてしまったのか。 「僕は、泣いて・・・?」 「悪かった」 「自分をそんなに責めないでください。 責められなくてはいけないのは、僕の方です。 姫野くんを護れなかった」 そう、これが一番赦せないこと。 「何言ってんだ。 殿下から聞いたよ。 あんなに怒った伯爵、初めて見たって。 あいつらが自首してきたの、おまえのお陰なんだろ」 「・・・姫野くんを失っていたら、 どんな手段を使ってでも殺していた」 「伯爵・・・」 姫野の手が、ようやく伯爵に届いた。 豊穣の秋を思わせる髪をすくう。 それだけで、伯爵は姫野を感じて身が震えた。 「怖ェこと、言うなよ、らしくねえ」 自分でも凍えるような冷たい 言葉を吐いたと、伯爵は思った。 不安にさせてしまっただろうか。 だったら抱きしめて、安心させたい。 何よりも、彼が生きているぬくもりを感じたかった。 「姫野くん、僕もあなたに触れてもいいですか?」 返事がない。 「い、いえ、いいんです。 あなたが嫌がることは、したくないんです。 触るな、と言うなら触りません。 近づくな、と言うなら遠くからあなたを見ています」 姫野は触れていた伯爵の髪を ぎゅっと掴むと、自分の方へ引き寄せる。 自然に、ベッドの上に乗ってしまう伯爵。 「あ!い、痛ッ!痛いですよ」 「俺が触る」 「へ?」 「おまえから触るのは、禁止」 「わ、わかり」 伯爵の返事が終わらないうちに、 姫野が伯爵の唇に自分の唇を重ねてきた。 「!?」 伯爵は、頭の中に花火が 打ち上がったような衝撃を受けた。 驚いて目をいっぱいに開いたが、 すぐにそれは柔らかく閉じられた。 つ、と姫野の唇が離れる。 「やっと会えた、螺旋階段」 伯爵の唇の上を、そう囁きながら 姫野の唇が滑っていった。 それを追って伯爵が唇を突き出すように すると、姫野が優しく唇を重ねた。 深く、深く・・・。 12 ドアが静かにノックされ、姫野の 病室に殿下と淳哉が入って来た。 「お邪魔しまーす」 と、淳哉が控え目に声をかける。 ベッドの上に、丸く布団の山ができている。 「寝ているのかな?」 ベッドに近づこうとする 淳哉の手を引っ張って止める殿下。 殿下の視線をたどると、 ベッドの下に男物の靴が一足見えた。 明らかに姫野のものではない、大きな革靴。 「まさか・・・伯爵?」 淳哉の疑問に答えるように、 殿下がベッドの向こう側へ回り込む。 ベッドの中を覗き込んでくすりと 笑うと、淳哉を手招きした。 いいのかな?とどきどきしながら、 淳哉は殿下のそばへ行った。 遠慮がちにベッドを見た。 「え?可愛い・・・姫くん」 白い布団の中、おとぎ話から抜け出て来た ような、金色の髪の王子様に すがりついている黒い髪の眠り姫がいた。 思わず微笑んでしまう淳哉。 「夜、眠れないようだって看護師さんが 言っていたけど、どうやら大丈夫みたいだね」 囁くように殿下が言う。 続けて伯爵のことも気遣って、 「伯爵も事件以来じゃないかな、 こんなによく眠っているのは」 と言った。 あんなに伯爵に触れられるのを嫌がっていた 姫野が、自分から伯爵にすがりついている。 姫野から言われたのか、あの伯爵が姫野に 触れることなく(おあずけを食っている?) 彼に寄り添っている。 伯爵の大きな愛が感じられて、温かだった。 「姫くんって」 淳哉も、殿下だけに聞こえるような小さな声で話す。 「ん?」 「仕事も将来の夢もしっかり 持っていて、凄く大人に見えた」 「そうだね、いつも頑張っているね」 「でも、僕よりも年下で、まだ 二十歳にもなっていなかったんだな」 伯爵に包まれて安心し切って眠っている 姫野の顔は、年齢よりもずっと幼く見えた。 「何か、ほっとした」 そう言う淳哉の声が微かに震えたのを 感じて、殿下は彼を抱き寄せた。 淳哉の目から、涙があふれてくる。 「本当に怖かった・・・姫くんが 死んじゃうんじゃないかって。 体の傷が良くなっていっても、姫くんも 伯爵も心が深く深く傷ついていて・・・。 これで大丈夫ですよね、 元どおりになりますよね、みんな」 「起こすといけないから、出ようか、淳哉くん」 殿下は淳哉の肩を抱いたまま、病室を出た。 (お姫のまわりの全てが、 元のとおりになるわけではない) 殿下は淳哉の綺麗な涙を裏切るような 自分の考えを、彼に語ることはしなかった。 この事件で姫野ばかりでなく、 まわりの人間も傷つけられた。 例えば、姫野の勤めている寿司屋の大将は 姫野をあの日、出前に出したことを悔いている。 そして殿下自身も。 どうして、もっと早く姫野を 見つけてやれなかったか、と。 だが、一番苦しんでいた伯爵に あのような形の愛を見せつけられては・・・。 大丈夫だと、きっとまたあの騒がしくも 微笑ましい日々が戻って来るのだと、 淳哉のように信じられる気がするのだ。 13 目を覚ました姫野は、少し混乱していた。 なぜ、ひとつのベッドの中に、 伯爵と一緒にいるのか。 しかもここは病室だ。 医師や見舞い客が、いつ入って来るかわからない。 「おまえ、何考えてんだ!?」と、 まだ眠っている伯爵を殴り飛ばそうとして はたと思い当たった。 彼をベッドの中に引っ張り込んだのは、 姫野自身であったことを。 「そんなに心が弱っていたのか、 こいつにすがりつくほど」 いや、そうではない。 いつの間に、こんなに伯爵が自分の中で 大きな存在になっていたのだろう。 最初は、自分の作る寿司をけなして おきながらなついてくる彼に、 馬鹿にしているのか、とムカついた。 だが、伯爵が聖域(キッチン)に 入ることを許し、キスを許し、 体に触れることを許し・・・。 許す理由から、自分は目を逸らし先送りしていた。 姫野は改めて、眠る伯爵の顔を見た。 白磁のような肌の色が青みを 帯び、やつれたように感じる。 「悪かった、心配かけた」 自然にそんな言葉が、口を衝いて出た。 「いいえ、いいんですよ」 伯爵の目は閉じられたまま、口だけが動いた。 「!?・・・伯爵、起きて」 「願掛けをしたのです」 「え?」 「姫野くんの命を助けてくれるのなら」 ゆるゆると伯爵の目が開いていく。 「僕は、あなたに愛されることをあきらめよう、と」 この澄み切った瞳が、幾度(いくたび) 真っ直ぐに自分を見詰めたことだろう。 「じゃあ、俺はどうしたらいいんだ? この気持ち抱えたまま、ぐるぐるまわり続けるのか」 「はい?・・・え?え?姫野くん、それは」 「馬鹿!言わねーからな、察しろよ」 「姫野くん!」 伯爵が大きな手で、しっかりと姫野を抱きしめる。 が、慌てて離れようとする。 「ごめんなさい、僕から触ってはいけな」 伯爵の腕を掴んで引き戻す姫野。 「だから!察しろ、って言っただろ」 「愛してます、姫野くん! そして、姫野くんも僕のことを」 「そっから先、口に出すな!」 「はいっ」 ぎゅっと自分を再び抱きしめてくれた 伯爵の手は、温かくて大きくて心地良かった。 滞っていた自分の心が、彼に向かって流れ出す。 もうどんな理由をつけても、 それを止めることはできない。 (だって、ぐるぐる迷った螺旋階段で、 真正面から伯爵に出会ってしまったんだから) (終) ※あとがき 「美男の殿堂」勝手に妄想爆走文章に最後までお付き合い くださいまして、本当にありがとうございました。 「美男の殿堂」のカップルの中では姫野役をドラマCDで 中井和哉様が演じていることもあって、伯爵×姫が一番お気に入りです。 (というか、ドラマCDでこの原作を知ったという、駄目な私です) この二人の距離が、ゆっくりと縮まっていくその過程が大好きです。 神葉理世先生が、この二人を見守っている雰囲気が温かいですね。 そんな原作の雰囲気を壊してしまったのでは ないかと、非常に心配しております。 ファンの方々、申し訳ありませんでした。 SKIP