怒らないから・・・35〜51
35 重ねた唇をつと離して、 「おまえが欲しい」 と梶が言う。 彼の唇が服部の唇をかすめ、その感触がくすぐったい。 梶は服部を逃がさないようにしっかりと 抱きしめ、今度は深く口づけてきた。 服部は体は緊張しているのに、頭の中では (梶先輩、キスがうまいなあ) などと考えている。 たぶん、初めてじゃないんだろう。 (佐倉先輩との初めてのキスは、ひどかった) 佐倉は顔を赤らめながらも睨みつけてくるし、服部はといえば、 何やら粗相をして佐倉に怒られるのではないかと冷や冷やしていた。 やっと合わせた唇の下では、互いの歯が ぶつかりあってがちがちと音をたてていたっけ。 「慎ちゃん、その可愛い笑顔は良い方向に解釈していいのかな?」 梶が唇を離し、服部の顔を覗きこんでいた。 思い出に浸って、服部の頬は緩んでいたようだ。 「あ?ああ、えーと梶先輩?」 梶は大きなため息をついた。 「さっきから、僕しかいないけど・・・。 ひょっとして、僕をすっ飛ばして佐倉君を見ていたのかな?」 「す、すいません」 「図星かよ」 あきれたらしい梶だったが、その手は服部を抱きこんだままだ。 「俺も佐倉先輩もお互いがファーストキスの相手で・・・ ものすごーく緊張して。 ほんと最悪だったのに、でもそんな 慣れていないキスが幸せで、笑い合った」 「のろけられてもなあ」 「初めて会った頃の佐倉先輩は、あんまり幸せじゃなくって、 他人を寄せつけないとこがあったんです」 「よくそんなヤツを、好きになったね?」 「ひとめぼれでした。 でも、つき合ってみて初めてわかった、 人に対してとっても気を遣う人なんだなあって。 大学へ行かなかったのも、離婚する両親に遠慮したからに違いないんだ」 「佐倉君のこと、理解しているんだな」 「でも、今日は全然わからなかった・・・」 うーん、と梶が大げさに困ったような顔をする。 「『敵に塩を送る』っていう訳じゃないけど」 こほんと、ひとつ咳払いをしてから梶が告げる。 「大丈夫、佐倉君はおまえのこと、ちゃんと好きだよ」 「え?」 「僕も慎ちゃんのことが好きだから、 あの人の心の動きには敏感になっていた。 だから、よくわかったよ」 梶がもう一度、唇を近づけてきて軽く服部の唇に触れる。 「行っておいで。 佐倉先輩の謎を、解いてきてごらん」 梶はその腕の中から、服部を解放する。 部屋を出る前に、服部は梶に向かって微笑んだ。 「梶先輩に愛される人は、幸せだと思います。 その手をふりほどいてしまった俺は、馬鹿ですね」 「早く行けよ! 僕の理性が、吹っ飛びそうだ」 梶に背中を押してもらって、服部は駅へと向かった。 故郷へ向かう電車に乗るために。 36 息子の急な帰省に服部の両親は驚いたが、 すぐに温かい食事を用意してくれた。 電車に乗る前に、佐倉が働いていた工場の工場長と会う約束を とりつけることは忘れなかったのに、両親へ連絡するのは忘れていた。 思わず苦笑してしまう。 (佐倉先輩、俺、本気で心配しているんだよ) 永井の車の中、笑っていなかった佐倉の横顔。 その隣で、鋭利な刃物のような目をしていた永井。 絶対に幸せじゃないはず・・・それなのになぜ、佐倉は彼といるのか。 なぜ、全てを自分に秘密にして離れて行こうとしているのか。 翌日、出かけようとしている服部を、玄関まで母親が追って来た。 「どこへ行くの?」 「ちょっと、人と会って来るよ」 「佐倉・・・先輩?」 探るように訊いてくる母を思わず見る、服部。 「違うよ」 「本当に?」 「嘘ついて、どうするの?」 「そうよね」 高校の頃、卓球部を話題にする時、さりげなく佐倉の名を出していた。 しかし、彼とつき合うようになってからは 意識して、彼の名は出さないようにしていた。 カムフラージュのために、同級生達の名をたくさん挙げていたのに。 なぜここで友人ではなく、佐倉の名が母の口から出るのか。 そして佐倉と会わないとわかったら、どうして 彼女はこんなにも安堵した顔をするのか。 時間がないので、母を問い詰めることはしないで外へ出てしまった。 「あいつやっぱり服部君には、何も言わなかったのか」 と、工場長がため息まじりに言った。 休日だというのに、工場長は快く服部を自宅へと招き入れてくれた。 佐倉が永井から奨学金を貰って大学へ行っていること、 その永井の家に下宿していることを一気に話してくれた。 「佐倉先輩、大学へ行ってるんですか?」 それは服部にとって、大きな驚きだった。 「ああ。 だけどあいつ、夢が叶ったというのに、あまり元気がなかったな。 それに」 工場長はちょっと言いよどんでから、言葉を続けた。 「永井という男、可愛い高校の後輩に手を差し伸べてくれた 人間にしては、俺には自己中心の冷たい男に見えて、な。 佐倉のヤツ、苦労しているんじゃないだろうか」 工場長の家を辞してから、服部は街の中を歩いた。 どこもかしこも、佐倉との思い出の場所だ。 部活の後、彼と入ったラーメン屋。 無理に誘ったホラー映画で、自分の方がびびりまくった映画館。 ・ ・ ・ 佐倉に突き飛ばされて、落ちた川。 その後、連れて行かれた佐倉の家。 ここで初めて佐倉の想いを聞かされ、互いを求め合い 受け入れて、やっと二人、恋人同士になった。 ・・・この家に、もう佐倉先輩はいない。 37 夕方、服部が帰宅すると、今度は父親が声をかけてきた。 「遅かったな、誰と会ってきたんだ?」 「それ、行く前も訊かれた」 父の後ろから、母が心配そうな顔で見ている。 「高校の頃の友達か?」 「それとも『佐倉先輩か?』って訊きたいの?」 鎌をかけた服部が驚くくらい、両親は動揺した。 「二人共、何か隠してる?」 最初は誤魔化そうとした両親だったが、 真剣な服部の態度に観念し、重い口を開いた。 ちょうど一年前、佐倉に会って 『息子と別れて欲しい』と迫ったことを白状したのだ。 もつれた糸がするするとほどけるように、 佐倉の不可解な行動の謎が解けていく。 服部は生まれて初めて、両親に対して怒りを覚えた。 「佐倉先輩はあなた達と約束した通り、俺には何も言わずに離れていったよ。 どうしてだと思う?」 両親は、服部を恐れるかのように押し黙っている。 「あの人はね、家族同士がいがみ合うのが嫌なんだ。 両親が離婚する時、とても辛い目に遭ったからね。 先輩自身が殴られたり、酷い言葉を浴びせられたりしたらしい。 そうやって、家族がばらばらになっていった・・・。 だから自分が原因で、俺の家族が険悪になるのが怖かったんだと思う。 凄く優しい人なんだ」 「私達は、あなたの幸せを思って」 と母親が、至極一般的なことを口にする。 「何で、佐倉先輩といると俺が幸せになれないと思ったの? 何が許せなかったの?」 両親とこんな風に真っ直ぐに向き合うのも、初めてのことだった。 「あの人が男だから? 両親が離婚していて、家族がいないこと? 大学に進学しなかったことも、駄目? 金持ちでもないし、就職は・・・」 服部はそこまで言って、嫌になった。 「そういうこと、先輩に言ったんだよね?」 「そんなにあからさまには、言っていないよ」 と、父親が弁明する。 「言った方はね」 かわいそうに、言われた佐倉は、引け目を感じたのではないだろうか。 「いつも俺の心配をしてくれたあなた達には、感謝をしています。 親子だもの、嫌いにはならないけど、 佐倉先輩を傷つけたことは怒っています」 「慎ちゃん」 すがるように、母親が名を呼ぶ。 「東京へ帰ります」 両親に背を向けた。 「授業もあるし」 という言い訳は、両親に言い過ぎたと思ったからか。 家を出てふつふつと湧き上がる怒りの矛先は、自分の方を向いていた。 彼が独りで苦しんでいるとも知らずに、 隣でのほほんと過ごしていた自分が一番赦せなかった。 「おまけに別れを告げられて、頭に血が上った俺は、 故郷での最後の日、ひどい抱き方をしてしまった・・・」 心がしぼんでいく。 38 ひどく喉が渇いて、佐倉は目を覚ました。 途端に夢の中でも鈍痛にさいなまれていた身体が、 悲鳴を上げるように鋭い痛みを伝えてきた。 そうだ、永井にゴルフクラブで殴られたのだった。 梓が割って入ってくれたようだったから、病院に運ばれたのだろうか。 しかし見慣れたカーテンに遮られたその部屋は、 やっとこの頃自室として馴染んできたものだった。 カーテンの隙間から日の光が見えないから、まだ夜なのだろう。 部屋の外で男同士が怒鳴り合う声が聞こえ、ドアが開いた。 男が一人入って来て、続いてもう一人の男が 入って来ようとするのを阻止する。 ドアに鍵が掛けられる。 外からドアを叩き、永井の名を呼んでいる梓の声がした。 では、入って来た男は−!? 永井が、佐倉が横たわっているベッドに近づいて来る。 怖い! 恐怖が、佐倉の体中を駆け巡る。 逃げようとするが、いつの間にか両手が頭上で ベッドの柵にしっかりと縛られていた。 「君が性悪(しょうわる)だったら、 私達はうまくやっていけたのだろうね」 永井がベッドに腰掛けて、佐倉の顔を覗き込んでくる。 「耕司君の優しさ、そうだな、服部君を想う気持ちっていうヤツを私に くれるのなら、ちゃんと治療して、また大学へ行けるようにしてあげる」 唇を重ねてくる永井。 彼を受け入れれば、今まで通りに暮らして行かれる。 しかし・・・ガリッ! 佐倉は自分の口の中に入って来た彼の舌に 噛みついて、拒否の意思表示をした。 「脅されて、人を愛することはできない」 永井の拳が、佐倉の顔に振り下ろされた。 負けずに言葉を発する佐倉。 「俺はあなたの期待に応えようとして、 勉強や卓球に打ち込んできたつもりです。 でも、あなたが求めていたのは、こんなことだったのですか?」 永井の拳が止まる。 「最初は綺麗な子だなあ、と思った」 唇を切ったのだろう、佐倉の口端の血を永井が指で拭う。 「あまりにも私に境遇が似ていて、自分を見るようだった。 それなのに」 永井が佐倉の頬に爪をたてる。 「なぜ、父が私を自慢に思っているなどと、言えるのだ。 なぜ、父が私を憎んでいる、と言わないのだ」 佐倉の胸に顔を埋める永井。 「父親でさえ金で買った、私なのだぞ」 「お父さんの心は、買えなかったということでしょうか」 「そんなことはない!」 永井がポケットに手を突っ込み、札をひとつかみ取り出す。 「父は、金が目当てなんだ。 そして、おまえもだ」 その札の塊を佐倉の体の上にぶちまけ、更にポケットから札をつかみ出す。 「こんなに金持ちなのに、あなたは何て哀れで貧しい人なんだろう」 佐倉に言われて逆上した永井は、彼に馬乗りになって両手を首に掛ける。 ぐいと締め上げられて、佐倉は呼吸ができなくなる。 (殺されるのか?このまま) 39 「スキだよ、先輩」 大好きな言葉を一番温かな笑顔にのせて、 服部がこちらに向かって歩いて来る。 「服部!」 だが服部は、手を伸ばした佐倉の横を通り過ぎて行ってしまう。 「服部?」 佐倉の目が服部を追って後ろを振り返ると、彼は梶の腕の中にいた。 「服部!?」 「ほらね」 その冷たい男の口調に、佐倉ははっと目を開ける。 永井に首を絞められて、気を失っていたようだ。 自分の体の上から、永井が薄く笑いながら言ってくる。 「耕司君は、他の男に抱かれながら服部君の名を呼ぶんだ。 ひどいね」 シャツを引きちぎられむき出しになった 佐倉の胸に、永井が口づけていく。 「そう、ひどいヤツなんだ、俺は」 佐倉の肯定の言葉に、永井は彼の顔を見た。 「こんなことになってから、一番大切なものを 手放してしまったことに気がつくなんて」 「言うな!」 永井が自分の唇で、佐倉の口を塞ぐ。 その唇が、震えていることに気づく佐倉。 唇を離して、永井が訊いてくる。 「どうして私と一緒にいても、君は幸せそうな顔をしない?」 「あなたこそ、俺をいいように扱っているくせに、 そんな泣きそうな顔をしているのか?」 「おまえが、私を受け入れないからだ。 不愉快だよ」 (不愉快?いや、この人は、自分に 少しでも従わない人間がいると不安なんだ) 「私を愛していると言え。 服部よりも私を」 永井が佐倉の足を、乱暴につかんだ。 「ひっ!?い、痛っ!」 「やっぱり折れてるね、足。 残念だよ、美しい体なのに。 おまえが悪いんだからな、私にこんなことをさせるなんて」 永井は殴られて痛みにきしんでいる佐倉の 体の中へ、更に屈辱的な痛みをねじこんできた。 「う・・・っ!わっ!?」 人はこんなにもひどく、同じ人間のことを 踏みにじることができるのだろうか。 「・・・あなたを、尊敬していました。 ただ・・・それだけです」 大学で勉強をするチャンスをくれた永井に、感謝していた。 心をさらけ出すのは怖い。 だが、気持ちが相手に伝わらないのは悲しい。 「泣いているの?」 自分の体の上から、永井が微笑む。 佐倉の体を汚す行為を、止めようとはせずに。 それでいて、彼は言うのだ。 「綺麗だね、その涙。 それも私のものだよ。 ・・・愛しているんだ、耕司」 初めて知った彼の心。 しかし・・・。 「愛?これが? これは・・・暴力以外の・・・なにものでもない」 毅然(きぜん)とした態度に、 咆哮(ほうこう)を上げたのは永井の方だった。 永遠に続くかと思われた暴行は、月曜日の朝、 永井の家に乗り込んできた男達によって終わらされたのだった。 40 服部は東京に戻ってから何度も佐倉の携帯に 電話をしてみたが、電源が切られているらしく通じない。 早く彼に会って両親のことを謝り、何も心配せずに 自分とつき合って欲しいと告げたかった。 服部はまんじりともしないで、月曜日の朝を迎えた。 「大学の後に、永井の自宅でも探してみるか」 時計代わりにつけていたテレビから、ニュース速報が流れてきた。 永井良生の本社と自宅に、東京地検の強制捜査が入ったという。 いかめしい顔つきの男達が、本社だろうか、 次々と入って行く姿が映しだされる。 「自宅にも?先輩、怖い目に遭っていなければいいけれど・・・」 ニュースが気がかりだったが、服部は大学へと向かった。 ニュースを見たか、と梶が服部を捜して来た。 「証券取引法違反だってさ。 ウチの教授が、以前から危惧していた通りだったな」 「実は佐倉先輩が、永井の家に下宿しているらしくて」 服部が話しだした時、携帯電話が鳴った。 佐倉の名を表示している。 慌てて出ると、 「服部慎太郎さんですか?」 と名を尋ねてきたのは、佐倉とは違う渋い男の声だった。 訝しがる服部に、男は刑事だと身分を明かした。 刑事、猪俣(いのまた)は服部に佐倉との関係を訊いて来る。 「大切な人です、とても」 それだけで猪俣はわかったらしく、至急彼のことで会いたいと言った。 梶が警察署までついて来てくれた。 卑怯だとは思ったが、やはりこんな時、 服部にとって頼りになるのは梶だった。 迎えてくれた猪俣は一枚の写真を持っていて、 それと二人を見比べるような素振りをした。 そして服部に向かって、微笑む。 目尻にくしゃっと皺が入って、彼を温厚なおじさんに見せた。 「あなたが服部さんですね」 その写真は、服部が高校の友人に頼んで撮ってもらったものだった。 佐倉の高校の卒業式に、二人で並んで撮った記念写真。 佐倉の肩に手を置いて満面の笑顔の服部と、怒ったように (服部は照れていると解釈)そっぽを向いている佐倉がいる。 同じものを服部は、大事に持っている。 だから猪俣が手にしている写真の持ち主は、きっと・・・佐倉先輩だ。 服部達が誰もいない部屋に通され座った時、 向かい合った猪俣の顔からもう笑みは消えていた。 緊張する服部。 41 「服部さん、最近、身の危険を感じたことはないですか? 胡散臭い男につきまとわれたりとか、電話は? 脅迫されたりとか、なかったですか?」 「いえ、そんなことは・・・一体どういう?」 「永井良生という男を、ご存知ですか?」 「はい。あの・・・今朝、強制捜査が入ったんですよね? 佐倉先輩が永井の家に下宿しているはずですが、何かあったのでしょうか?」 「佐倉さんは確かに、永井の自宅にいました。 でも、骨折等、大きな怪我をしていて。 永井は黙秘していますが、たぶん、彼の仕業だろうと私達は考えています」 服部はショックで叫びそうになるのを、口に手を当ててこらえた。 「病院に運ばれる前に、佐倉さんが必死に訴えてきたそうです。 服部さんの無事を確認してほしい、と」 「なぜ、俺の?」 猪俣は話すのをためらっている様子だ。 「刑事さん」と、梶が口を開いた。 「知っていることを教えてやって下さい。 こいつ、本当に佐倉君を心配していたんですから」 「いや、ここから先は親御さんだけに話そうと 思っていたのですが、どうにも連絡がとれなくて」 「そこらへんの事情も、俺、心得てますから」 佐倉の両親に対して服部にはいろいろと思うところが あるが、今はとにかく佐倉に何があったのかを知りたい。 「お願いします、話してください。 佐倉先輩を追い込んでしまったのは、たぶん俺・・・だから」 そうですか、と言って猪俣は話を続ける。 「永井は暴力団との関係も、噂されていましたからね。 察するに永井は、言うことをきかないとあなたに危害を 加えると、佐倉さんを脅したんじゃないでしょうか」 夏休みも近い暑い日なのに、服部は嫌な寒さを背中に感じる。 両手で自分の体を抱くように、しっかりと両の腕を押さえた。 その手に、そっと梶が自分の手を重ねてきた。 「つまり、それは・・・体の関係を迫った?とか?」 梶が服部の代わりに尋ねる。 「鍵のかかった部屋に、佐倉さんは永井と二人きりでいたそうです。 佐倉さんはベッドに縛りつけられていて・・・ たぶん・・・無理矢理・・・」 悲惨な状態だったのだろう、猪俣の言葉も途切れがちだ。 聞いている服部の体も、大きく震えてしまう。 梶が、しっかりと服部の手を握った。 「佐倉先輩が、入院している病院はどこですか? 一刻も早く、会わなければ」 「今すぐ会おうとするのは、佐倉さんにとっては辛いことでしょう。 あなたが無事だということは、必ず彼に伝えます」 「お願いです」 服部の泣きそうな目が、猪俣を見据える。 「会ってくれる日を待っている、と。 電話でもいいから、夜中でもいいから。 そして・・・馬鹿で鈍感で能天気な俺を怒って欲しい」 「あなたの気持ち、伝えましょう」 と、猪俣が慰めるように微笑んでくれた。 彼の手をしっかりと握りしめる服部。 「お願いします、あの人を、お願いします」 こらえていた涙が、幾つも幾つも落ちていく。 「服部さんが佐倉さんの心の支えになってください、と励ましたいが、 このようなことがきっかけで被害者から離れて行く人もいます。 だがそうなったところで、その人を 責めることはできないと、私は思っています」 「俺は」と言いかけた服部の口を、猪俣が人差し指でふさいだ。 「本当に、これからキツイですよ」 42 これからがキツイ、という猪俣の言葉にはこのことも 含まれていたのだろうと、服部は半分は呆れ、 そして半分以上は憤りを感じながらその騒ぎを見ていた。 週刊誌を読まなくても、電車の中吊りがスキャンダルを人々に伝えてくる。 永井については、証券取引法違反よりも、自宅に少年を監禁して 暴行していたという事件の方が大きく取り上げられていた。 テレビも朝から競い合うように、その話題を放送している。 被害者である佐倉は未成年ということもあるのだろう、 名前も顔も伏せられているがそれは全て無駄だった。 故郷にはレポーター達が押し寄せ、少しでも佐倉を 知っている者がいればわっと群がってインタビューをする。 毎日のように、その様子が放映された。 少なくとも故郷の連中には、少年の正体が 佐倉であると知られてしまったらしい。 服部のところにも、友人達から電話があった。 興味津々と佐倉のことを尋ねてくるのを、一喝して乱暴に電話を切る。 情けなく思う。 そう、情けないと言えば、母校の態度もだ。 佐倉に永井の奨学金の話を紹介した という件で、高校も責任を追及されていた。 マスコミによって無理矢理開かされた感じの 記者会見で、学校側は逃げの一手だった。 せめて佐倉を擁護する言葉を言って欲しかった、 と服部はテレビのスイッチを切った。 というのも、マスコミは被害者の少年に同情するような態度を 示しておいて、その一方ではほとんどでっち上げのことを しゃあしゃあと言ってのけているからだ。 しかも永井よりも、佐倉の方に悪意が向けられているのはなぜなのか。 酷いものでは、佐倉が金目当ての援助交際を 永井に迫っていたなどと伝えている。 二十歳にも満たない子供を、大人達が 寄って集(たか)ってなぶりものにしている。 再び暴行されているようなものではないか。 更にマスコミは、佐倉の両親にも目をつけた。 離婚してそれぞれ家庭を持ったことを非難されて、 息子を捨てた無責任な親として叩かれているのだ。 「この人達はどうするのだろう」 服部は佐倉の両親を想う。 佐倉が沈められていく渦に巻き込まれまいとして、 やはり母校の先生達のように逃げ出すのだろうか。 服部の両親も、忠告してきた。 世論の協力を得たとばかりに、今後佐倉とは つき合わないように、と少しきつい口調で。 道連れになって沈まないよう、早く逃げるようにと言っているのだ。 「こういう時だからこそ、俺が支えないと」 と、服部はきっぱりとはねつけた。 しかし、佐倉から連絡が入ることはなかったし、 こちらから何度携帯に電話をしても出てはくれなかった。 頼って欲しいのに、それさえも許してくれないのか。 「いや、違う」 佐倉の性格からして、きっと自分を赦せないのだ。 今度こそ、身を引こうとしている。 「やはり、俺から動かなきゃ駄目だな」 考え込むことが多くなった服部に、そばで見守っていた梶が言う。 「慎ちゃんは赦せるのか?佐倉君を。 他の男に抱かれた彼を、以前と同じように愛せるのか?」 43 病院という隔てられた場所にも、人々の興味を引く ニュースというものは聞こえてくるもので・・・。 佐倉は自分に向けられた厳しい目を、これから自分が生きていく 世の中の形であると、あきらめにも似た覚悟をした。 が、怖いという気持ちは大きい。 ある日、どう手を回したのか、梓が佐倉の病室にやって来た。 見舞い客は、全て断るようにしていたのに、だ。 梓はベッドの傍らに立ち、横たわる佐倉を 見下ろしながら事務的な口調で言った。 「これは永井の意志ですが、あなたへの 奨学金は大学を卒業するまで続けます」 佐倉が首を横に振って、拒否の意を示した。 医者には事件のショックからくる一時的なものと言われたが、 彼は言葉をスムーズに発することができなくなっていた。 ゆっくりと時間をかければ会話は可能なのだが、相手は待ってはくれない。 そんなことでさえ、世界が自分を拒絶しているようで悲しかった。 「それで、ここからは私の考えですが」 と、梓が前置きをする。 「あの部屋での行為は、合意だったということにしてくれませんか? あなたにはその手の趣味があって、永井が少々やり過ぎた・・・と」 佐倉は信じられない、と険しい顔をした。 「そうすれば、生活費もだしますよ。 今まで通りの贅沢な暮らしを、させてあげます」 佐倉は、激しく首を横に振る。 「・・・全部・・・いらない」 「そういうところ!」 刀で斬りつけるような、鋭い口調だった。 「良生さんが、あなたに魅かれたのかな。 何せ、まわりには金を見せれば、素直に 言うことを聞く奴等ばかりだったから」 梓が近寄って来て、佐倉の方に手を伸ばす。 怖い! 相手が誰であろうと、今は男に触れられるのが怖い。 恐怖に顔を引きつらせてしまう佐倉。 その髪の毛を掴んで、梓がぐいと顔を近づけた。 「おまえ、あの人に愛されて何が不服だったというのだ」 低く囁く。 「大人しくあの人を、受け入れればよかったんだ」 その自分の言葉に、梓が傷ついたような顔を見せる。 はっとする佐倉。 (梓さん、もしかして永井さんを・・・愛して・・・?) 言葉をうまく紡げなくなってから、佐倉は人の表情にさとくなった。 「良生さんは人の愛し方を知らなくて、それがあの人の罪で・・・。 すまない」 そう謝って、梓はスーツの胸ポケットから札の入った封筒を取り出す。 「これが最後の、永井からの金です」 事務的に言うと、佐倉の枕元に封筒を置いた。 そして、くるりと背中を向ける。 「あの方のもとから全ての人間が離れて行っても、私だけはそばにいる」 梓は、部屋を出て行った。 佐倉は包帯の巻かれた手で、封筒を払い落とした。 床に何枚もの札が広がった。 (愛という言葉を盾にして、人はどのくらい他人を傷つけるのだろう) 44 夕食の後、佐倉は携帯電話の使用が認められているラウンジへ向かった。 車椅子で移動ができるほど、体は回復していた。 どこで調べたのか、佐倉の携帯には毎日、 たくさんの見覚えのない電話番号からの着信があった。 たぶん記者と名乗る者達であろう。 前に一度だけ電話に出てしまって、酷い目に遭った。 着信の中に、今日も服部の名がある。 彼をこのスキャンダルに巻き込んではならない。 絶対に会ってはならない、と自分で決めたはず だったのに、その名を見ると動揺してしまう。 馬鹿だと思う。 それに・・・服部のそばには今、梶がいるじゃないか。 猪俣という刑事が、服部の無事を確認してくれた。 永井が彼の身の危険を匂わせていたのは、ただの脅しだったのだ。 服部からの伝言も聞いた。 「全てを承知した上で、あなたに会いたいそうです」 と、猪俣はつけ加えた。 それには答えずに、目を伏せた。 携帯電話のディスプレイに、服部の携帯電話の番号を表示させる。 愛しくて、その番号を指でなぞる。 だが、ここまでだ、と自分に言い聞かせて表示を消した。 もうひとり、懐かしい人からの電話があった。 高校の体育教師、森田だ。 永井の奨学金の話を、佐倉に持って来た人物だった。 東京へ出て来てからも、数回、森田に近況報告をしていた。 いつも彼には「元気だ」と、告げていた。 今回のことで心配させてしまったか、と森田に申し訳なく思う。 森田は電話の相手が佐倉と知ると、声を落とした。 「学校(こっち)も大変なことになっていてな。 マスコミはもちろん、保護者からの問い合わせにてんてこ舞いだ。 正直言って、困ってる」 「あ・・・」 「記者会見を開いたんだが、もう何も わからないまま頭を下げるばかりだったよ」 「・・・」 謝らなくては、と気持ちは焦るが言葉が出てこない。 「おまえ、永井に生活費まで出させていたって、本当か?」 違う、違う、先生、違うんだ。 「その見返りに、体を・・・提供していた?・・・っていうか・・・」 もうそこまでが、限界だった。 気がつくと、電話を切っていた。 震える指が、終了ボタンを押し続けていた。 何だか、哂(わら)えた。 そうか・・・こんなにも自分は汚れた 存在として、世の中に報道されていたのか。 (これは、赦されないよな、俺。 そう言えば、森田の声、疲れていたな) もしや、学校での非難は彼に集中しているのではないだろうか。 永井の奨学金に自分を推薦してくれたのは、森田だったから。 佐倉はまわりにいる全ての人を裏切ってしまった 罪悪感で、いっぱいになる。 45 朝食前に病院の庭を散歩することが、この頃の佐倉の楽しみだった。 芝生や木立の間のコンクリートの道を、ゆるゆると車椅子を進める。 昼間の暑さはまだまだ厳しいが、それでも 朝の空気に秋の気配が感じられるようになった。 この時間、人はあまりいないが、それでも 顔に残っている痣等が気になって下を向いてしまう。 前方から、足音が近づいて来た。 邪魔にならないようにと、車椅子を端へ寄せる。 男物の靴が見えた。 それが自分の前で止まった。 そろりと目を上げると、年配の男性が立っていた。 そんなに背は高くないが、こちらは車椅子なのでその人が大きく見えた。 大きい男の人だと思うと、もう恐怖心でいっぱいになってしまう。 急いで逃げようと車椅子の方向を転換 させようとすると、男が車椅子を押さえた。 「ううっ!」 うめくように佐倉が声を上げると、 「私は、永井良生の父親です」 と、男は言った。 動きを止めて、佐倉は男を見た。 父親は車椅子から離れると、その場に土下座した。 「申し訳ありません!」 そこには、子の罪を詫びる親の姿があった。 ウチのバカ息子が・・・と何度も言いながら、 それ以上に親である自分を責めていた。 言葉の端々に感じられる、子への愛情。 永井に対して頑(かたく)なになっていた佐倉の心が、ふっと緩んだ。 こちらの様子に気がついた看護師に連れて 行かれるまで、父親は頭を下げ続けた。 彼の後ろ姿を見送りながら、不器用な人だなあ、と佐倉は思う。 その不器用さゆえに、妻や子と別れる ことになってしまったのではないだろうか。 せっかく再会した永井とも、どうつき合っていいのか わからなかったのかもしれない。 永井もそうだったのだろう。 永井が早く気がつくといい、父親が力強い味方である、と。 46 携帯電話が鳴った。 母の携帯電話の番号が、表示されている。 永井の父親に会って、親に甘えたい気分になっていた後だったから、 佐倉はためらいもなく通話開始ボタンを押した。 心配して電話をくれたのか、と期待もしていた。 「恥知らず!」 ヒステリックに怒鳴るその女性の声を、 母親のものと認識するまでに少し時間がかかった。 「独立する時、あなた、言ったわよね、お母さん達に迷惑をかけないって。 なのに、何なの、これは・・・? 変な記者達が押しかけて来て、私のことを、子供を捨てて 男に走った鬼畜の母親だって言い触らしているのよ! やっと掴んだ幸せなのに・・・、これはあなたの復讐なの?」 (じゃあ、俺や父さんと暮らしていた頃は不幸だったのか、母さん? しかも、復讐って?意味がわからないよ) 「お金はいらないって綺麗事言って、 あてつけがましく援助交際とはね、恐ろしい子だわ。 昔はいい子だったのに・・・」 最後の方は、涙混じりだった。 (昔っていつのこと? 俺、いつも頑張っていい子にしていた・・・よ) 母の泣き声が遠ざかったと思ったら、 「耕司君?」 と、いきなり聞こえてきた男の声。 「すまないね、お母さん、マスコミに 追われて精神が不安定になっているんだ」 知らない男の人の声に、緊張する。 向こうも佐倉が黙っているので、警戒されていると思ったのだろう。 「いきなりでごめん、今、お母さんと暮らしている者なんだけど・・・」 「・・・」 ふっと自嘲気味に男は笑うと、再び話しだす。 「そうか、私なんかとは口も利きたくないか。 だが、言わせてくれ。 お母さん、君からの連絡を待っていたんだよ。 少しぐらい気遣いをみせてくれても、よかったんじゃないかな」 佐倉の唇は震えるばかりで、言葉が出てこない。 母は、見舞いにも来なかった。 顔を見たら、何か言えたかもしれないのに。 電話で、しかもこんな見ず知らずの男になんて何も言えない。 「せめて、謝罪の言葉が聞きたかったのだが、残念だ」 佐倉が何も言わないので焦れたのだろう、男の声に怒りが感じられる。 「私は君の父親じゃないから、本当は権利はないのだろうが、 目の前に君がいたら、殴っていただろう。 愛する女性を傷つけたヤツとして、ね」 最後は捨て台詞で、電話は切られてしまった。 佐倉は自分の肩を抱きしめてくる感触に、顔を上げる。 誰もいなかった・・・。 腕を交差させて、自分で自分の肩を抱いていたのだ。 もっとしっかり抱きしめていないと、ここから消えてしまいそうで・・・。 膝の上に置いた携帯電話が鳴った。 びくっとして見ると、服部の名を表示している。 駄目だ、出られない。 服部にまで罵倒されたら、この世界に味方は一人も いないんだ、という事実を突きつけられてしまう。 それは辛い。 この電話に出なければ、彼に会わなければ・・・ 恋人として彼を心の支えにできる。 彼が自分を心配してくれている、と妄想することができる。 鳴り続ける電話を、哀しく見詰める佐倉。 (ごめん、服部、もう少しだけ、おまえに甘えさせてくれ) 47 朝からそんな場面を見せられるとは、思っていなかった。 佐倉のことがあってから、服部は週刊誌の記事やテレビが 垂れ流す映像を暴力だと感じるようになっていた。 その朝、テレビから流れてきた映像は、退院して病院から 出て来た少年を大人達がぐるりと取り囲むところから始まった。 カメラやマイクが少年に向けられ、リポーター達が 矢継ぎ早、というより機関銃のごとく質問を浴びせる。 顔は映されていなかったが、佐倉に違いなかった。 杖をついているから足下が気になるのか、ずっとうつむいたままだ。 「これから、どうするんですか?」 「永井被告に言いたいことは、ありますか?」 「永井被告の弁護士は、合意であったことをほのめかしていますが?」 追いかけて来る不躾(ぶしつけ)な質問に、行く手を阻まれてしまう。 カシャン! 杖がどこかに引っかかったのか、それとも引っかけられたのか、 杖が転がり佐倉もその場に倒れてしまう。 その途端、カメラのシャッター音がたくさん響いた。 どうにかして、佐倉から話を聞き出そうと焦ったのだろう。 「何か反論しないと、あんた、不利になるんじゃない?」 誰も彼を助け起こそうとはせずに、脅しともとれる言葉が発せられる。 佐倉はうつむいたまま、両手で耳を塞ぐ。 それが、彼にできる精一杯の抵抗だった。 「先輩!佐倉先輩!」 服部はテレビに取りついた。 高校の時、放課後、校内で彼の姿を 捜すと、決まって夕日の中に立っていた。 輝きを失っていく太陽とは反対に、綺麗に輝いていたのだ、佐倉は。 「その先輩(ひと)から光を奪うな!」 きりきりとえぐられるような胸の痛み。 切なくて、服部の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。 以前、病院を訪ねたら、本人の希望で面会は断っていると言われた。 それでもすぐそこに佐倉がいると思うと たまらなくなって、強引に会おうとした。 ちょっとした騒ぎを起こしてしまったが、 医者から佐倉の様子を聞くことができた。 体の傷ももちろんだが、精神的にも 参っているのでそちらの治療も受けていると。 そう言われれば、自分の行動が治療の 妨げにならないよう、身を引くしかなかった。 どうにかして佐倉に、彼を愛している自分の気持ちに 変わりはない、とわかってほしかった。 医者に言伝を頼んだが、 「結局、退院の日も教えてはもらえなかった・・・ということか」 と服部はつぶやいた。 「慎ちゃんは赦せるのか?佐倉君を。 他の男に抱かれた彼を、以前と同じように愛せるのか?」 梶の言葉が蘇る。 服部とつき合い始める前後、佐倉は自分の家族を失った。 それが原因だろうか、彼は時々服部に 恋人というよりは家族を求める様子を見せた。 「だからさ、赦すとか赦さないっていうことじゃないんだ」 けれども、確かに、前と同じように佐倉を愛せるかと 訊かれれば、それは少し違ったものになっていくような気がする。 48 梶が手を回してくれたお陰で、スキャンダルまみれになった にもかかわらず、佐倉は大学を退学にならずに済んだ。 何か見返りを要求されるかと思ったが、それはなかった。 佐倉はわずかな荷物を持って、永井の家を出た。 そして、人とあまり接触しないアルバイトを探した。 その夜、佐倉はレストランの皿洗いの仕事を終えて、駅に向かった。 もう杖は使っていないが、顔は自然にうつむくようになっていた。 ずっと立ちっ放しだったので、足が重くなっている。 足を引きずるように、駅の階段を一歩一歩上り始めた。 週末で、しかも終電が近い。 急いでいる人達の邪魔にならないよう、壁伝いに 上って行くのだが、ぶつかってくる者もいた。 よろけた弾みで、痛む方の足に力を入れてしまった。 バランスを失って、あわや階段落ちか、と思われた時、 がっしりと下から佐倉を抱き留めてくれた人がいた。 咄嗟のことに、謝礼の言葉もでない。 ぺこりと頭を下げると、「大丈夫ですか?」と男の声。 (この声!?) まさか、と思って顔を上げると服部だった。 泣きそうな、でも頑張って微笑んでいる、 そんな不思議な顔で、彼が立っていた。 佐倉の開いた口は、服部の名前も呼べなかった。 情けなく思う。 「佐倉先輩、しっかり俺につかまって」 服部の声が心地良い。 服部は忙しなく階段を上り下りする人々に 背を向けて、佐倉を護るように腕の中にくるんだ。 服部の腕が、優しい。 服部の息遣いが、彼との近さを感じさせる。 嬉しい、とても。 だが・・・。 「駄目!・・・駄目だ」 佐倉は腕を突っ張って、服部から離れようとする。 「あわわ、先輩、俺、落っこっちゃうよー」 服部の焦った声に、慌てて佐倉は彼を引き寄せた。 「そうそう、これでいい」 服部の腕の中でも、うつむいてしまう。 「先輩、マスコミのこと、気にしてる? 俺だったら、平気。 つか、見せつけたい。 俺達、恋人同士なんだぞって。 だから俺の先輩に手ェだしたら、赦さないんだぞって」 「・・・バカ」 「うん、もっと怒って」 屈託なく笑ってみせるが、服部は服部なりに 悩んで自分に会いに来てくれたのだと思う。 そう、きっと、この再会は偶然ではない。 (ごめん、服部。 そんな綺麗な笑顔になるまで、どのくらい泣かせてしまったのだろう) 「先輩、家まで送って行くよ、イイ?」 「はい」とも「いいえ」とも言えずに、佐倉は階段を上り始めた。 49 込み合う電車の中、服部はまわりから護るように 佐倉のそばに立ち、腰に手をまわしていた。 佐倉も、服部の腕につかまっていた。 服部の心の中は、先ほどからたいへんなことになっていた。 佐倉に再会できて話ができて拒絶もされて いないみたいだし、ということで万歳をする。 だが、まだ頑なに自分と別れようと していたらどうしよう、と落ち込んだり・・・。 そうこうしているうちに、佐倉のアパートの前まで来た。 「あの、先輩、俺、いっぱい話したいこと あるし、このまま別れるなんてできない!」 と、服部は佐倉に訴えた。 佐倉は部屋のドアを開け、服部を手招きする。 「え?いーんスか!?」 部屋に入ると暗くて、狭い玄関の中二人っきりで、 先に入った佐倉の背中がそこにあって・・・だから。 いきなり服部は、佐倉を後ろから抱きしめてしまった。 佐倉が息を呑んだ気配を感じた。 だが、服部はもう抑えが利かなかった。 佐倉をこちらへ向かせると、せっかちに唇を重ねた。 強引に佐倉の口の中へ舌を入れ、彼の舌を探す。 逃げる彼の舌に自分の舌を絡ませる。 そして自分の口の中へ誘うと、強く吸い上げた。 佐倉を抱きしめる腕に力が入る。 と、彼の体が緊張しているのを感じて、はっとして唇を離した。 はあ、と佐倉が大きく息を吐いて服部にもたれかかる。 「ごめん、先輩、嫌だった?」 もしかして、永井に暴行されたことを思い出したのだろうか。 (がっついたりして、俺って最低だ) 「暗いと、怖い」 「怖い?」 「電気」 服部は部屋に上がりこみ、明かりをつけた。 和室一間の小さな部屋の中はきちんと 片づいていて、というよりは物がなかった。 上がり框(がまち)に座り込んでいる佐倉に慌てて近寄る服部。 「す、すいません、先輩。 俺、先輩に会えてすっごく嬉しくて、ホント嬉しくて」 服部の言葉に、力がなくなっていく。 「やっぱり、俺、帰ります。 このままここにいたら、キスだけじゃ済まなくなりそうで。 また、会いに来てもいいですか?」 殺風景な部屋の中、服部の声だけが虚しく響く。 靴を履き、佐倉の横を通って外へ出ようとする。 佐倉の手が、服部のズボンをつかむ。 「先輩?」 佐倉を見る服部。 すうっと目が伏せられていく。 逡巡している時の佐倉の癖だ。 服部は佐倉の言葉を待った。 「・・・嫌じゃない」 「え?」 「おまえだって・・・わかって・・・いるから」 佐倉が、真っ直ぐに服部を見た。 「先輩!」 自分が笑っているのか泣いているのか、服部にはわからなかった。 佐倉が服部の足を、そして体を伝うようにして 身を起こし、自分から唇を重ねてきた。 服部の心臓は、飛び出しそうにどきどきしている。 唇を離すと、佐倉がはにかみながら囁いた。 「怒らないから・・・抱きしめて」 「は、はい!」 服部は長い腕で、しっかりと佐倉を抱きしめた。 「もう絶対に離さないから。 離れて行こうとするなら、追いかけて行くからね、佐倉先輩」 50 服部の形の良い唇に自分の唇をふさがれながら、 佐倉は畳の上にゆっくりと押し倒されていく。 「大丈夫?痛くない?」 心配そうに服部が訊いてくる。 服部を家に入れたのは、彼が自分を 責める言葉を言わないとわかったからだ。 駅で再会した時、彼の優しい言葉を 聞いてそれにすがりついてしまった。 護ってくれた腕が、どんなに頼もしく思えただろう。 服部がスキャンダルに巻き込まれる、とか、 服部の両親との約束、とかいろいろ駄目なことがあるのに。 「どうして、ひとりで頑張り過ぎちゃうかな?」 服部が、佐倉の顔を覗きこんで言った。 「卓球部もそうだったでしょ。 それに俺の両親のこととか、永井とのこととか」 「両親って・・・」 「ウチの親のことは、もう心配しなくていいですからね。 辛かったでしょ、ごめんね」 柔らかな言葉が、人に傷つけられた心に沁みて痛い。 ぎゅっと服部が抱きしめてくれる。 「うわあ、この抱き心地、やっぱ気持ちイイ!」 「おまえ・・・あ!」 服部はすっかりはしゃいで体を下へずらして、 佐倉のTシャツを脱がしにかかる。 だが、佐倉がその手を制する。 「先輩?」 「傷痕が」 「愛したいんだけど、ダメ?」 「醜いし」 「そんな・・・」 佐倉が辛そうな顔をしているのに気がついたのだろう。 「じゃあ、俺、目ェつぶるから。 先輩の体、目をつぶっていてもどこが感じるか、わかるもんね」 「バ、バカ!」 本当に目をつぶったのかどうかわからないが、服部は Tシャツをたくし上げながら佐倉の肌に唇を落としていく。 「あ・・・うっ!・・・ああ・・・!」 その感触に思わず声を上げてしまう佐倉。 自分の喘ぎ声に、服部の声が重なる。 「はあ・・・あ・・・佐倉・・・先輩・・・!」 服部の余裕のない荒い息遣い。 (服部、俺の体に興奮している?・・・のか?) そう思うと、佐倉の体がかっと熱くなる。 もう、何も考えられなくなっていた。 佐倉は服部の方へ手を伸ばして、彼の服を脱がし始めた。 「先輩!」 服部が、本当に嬉しそうに佐倉を呼ぶ。 服部も佐倉のTシャツを脱がせ、続いてズボンに手をかける。 だが、その手は退かれてしまった。 自分を気遣っていることがわかったから、 佐倉の方から服部のズボンのボタンを外していく。 「先輩、怖くない?」 「心配・・・するな。 最後まで・・・いい・・・から」 51 何もない部屋だからだろうか、二人の喘ぎ声、 愛撫の音が必要以上に響いて、服部の心が昂(たかぶ)る。 服部のまぶたの上に、佐倉が口づけてきた。 「まだ、目をつぶって?」 「開けてもいいですか?」 「・・・ああ」 服部が目をぱっちりと開けると、羞恥のせいなのか情事の始まりの 熱のせいなのか、ほんのり赤く染まっている佐倉の顔が見えた。 そして乱雑に脱ぎ捨てられた衣服の上に、ふたつの白い肌が重なっている。 「なんか、俺達、淫(みだ)らな感じ! そそられるよね」 からかうような服部の態度に、佐倉が語気を荒げる。 「バカ!」 泣きそうな顔になって、佐倉に抱きつく服部。 「服部?本気で怒ったわけじゃ」 戸惑う佐倉に、 「よかった!生きててくれて、本当によかった!」 と服部は何度も言った。 「先輩を失っていたら、と思うと怖い。 俺、絶対自分を赦さなかった」 小さな子にするように、佐倉が服部の頭をなでる。 「ごめん」 「謝らないで。 先輩は何も悪いこと、してないんだから」 服部は佐倉の手をとって、その手の平に口づける。 「先輩・・・俺を受け入れて・・・くれる? あいつのこと、思い出すようなら」 佐倉の指が、服部の口をふさぐ。 服部はその指に舌を這わせる。 指と指の間に舌を入れ、指先までゆっくりと舐めていく。 「あ・・・ああ・・・ん」 佐倉の喘ぎ声がしっとりと濡れて、服部の耳に流れ落ちてくる。 彼の声を聞いて暴走しそうな自分を なだめつつ、服部は佐倉の体を開いていく。 「先輩・・・俺のこと・・・感じて!」 少しずつ少しずつ、自分を受け入れてくれる佐倉の体。 「・・・ああ・・・耕司・・・!」 思わず、服部は愛しい人の名を呼ぶ。 すると、佐倉も乱れた呼吸の中で恋人の名を呼んだ。 「慎太郎・・・」と。 きっと二人、前みたいに無邪気につき合えないかもしれない。 きらきらしていた何かを、ひとつ、またひとつ、なくしていくのかもしれないけれど・・・。 「それでも、明日は今日よりもちょっとだけいいことが あるかもしれないから、二人、一緒にいようね」 服部は、自分の名を切なそうに呼ぶ佐倉を抱きしめた。 (終) ※あとがき 長いお話におつきあいくださいまして、ありがとうございました。 「抱きしめても怒りませんか?」の可愛い雰囲気が好きで、原作を読み返したり、 ドラマCDを何回も聴いたりして続編に挑戦しましたが、ヘタレました。 妄想だけが空回りしていたようです。 原作ファンの方には、申し訳なく思っております。 ごめんなさい。 SKIP