紅葉狩(もみじがり)  − リキチとキュウゾウ −

 休憩時間が過ぎてもキュウゾウが戻ってこない、 と彼から弓の稽古をつけてもらっている村人達がぼやいているのを、 ちょうど通りかかったカンベエが聞いた。 「キュウゾウ様も、お疲れなのでしょう」  とリキチは言ったが、カンベエは彼が向かったという森の中へと入って行った。  そこでは、人の住む里よりも秋が深く色づいていた。 真っ赤な紅葉に彩られて、木の根元でキュウゾウが眠っていたそうだ。 「鬼の姫が眠っていると思ったぞ」  リキチにだけ、こっそりとカンベエは耳打ちした。 その顔は、秘密をうっかり洩らしてしまった子供のようだった。  そしてカンベエは、この場所で謡と舞を披露したいと長老のギサクに提案した。 「『紅葉狩』という曲を」 紅葉の紅(あか)に魅せられたのだと、言い訳をした。  本当はキュウゾウに魅せられたのだろう、とリキチはくすりと笑う。  カツシロウとキクチヨに見張りを任せ、村人達は森に集まった。 連日の野伏せりとの戦の準備やら緊張感から、 皆、森の木々がこんなに鮮やかに紅葉していたことに気がつかなかった。 薄暗い森の中で、そこだけが紅く輝いていた。 「まあ、簡単に言えば、鬼退治の話ですね」  リキチら村人達に『紅葉狩』の内容を訊ねられて、ヘイハチがそう答えた。  鬼を野伏せりにたとえて、皆の士気を高めようというのだろうとつけ加えた。 「時雨(しぐれ)を急ぐ 紅葉狩  時雨を急ぐ 紅葉狩  深き山路(やまじ)を尋ねん」    シチロージとゴロベエの謡が、森の中に染み渡る。 青い空に、秋の色が混じっていた。 冷たい風がさっと通り過ぎ、リキチは空がふっと揺れたような感じがした。 「山の奥深く、紅葉狩の宴を開いている貴女達がいます。 そこへ鹿狩りにやって来た平維茂(たいらのこれもち)が 通りかかると、女は宴に誘います」 「あら情(なさけ)なの御事(おんこと)や  一村雨(ひとむらさめ)の雨宿り  一樹(いちじゅ)の蔭に  立ち寄りて  一河(いちが)の流れを酌む酒を  いかでか見捨て給ふべきと」  ヘイハチの説明にうなずきながら、リキチは舞に見とれていた。  貴女の役のキュウゾウが、扇を手に舞っていた。 農民の粗末な扇が、艶やかな女の心を写していた。 キュウゾウの背にはいつも背負われている刀もなく、 その分、彼の身体は華奢に見えた。 はかない女を思わせる。  その女が、維茂役のカンベエをしきりに誘惑する。 美しい舞の陰で、男を罠にかけからめとろうとする。  村人達は声もなく、舞に引き込まれていった。  揺れる金色の髪、宝石のような紅い瞳を持った人間は、この村にはいない。 透けるような白い肌さえも、農民には無縁のものだ。 その異国の人を、人々の目が追った。 「かたくなに宴への誘いを断っていた維茂も、 遂に彼女の誘惑に負けて酒を口にします」 「その気持ち、わかるだ。 誰も責められないだ」  ヘイハチの説明に、思わず正直な心を吐露したリキチ。 「深き情(なさけ)の色見えて  かかるをりしも道のべの 草葉の露のかごとをも かけてぞ頼む行く末を 契るもはかなうちつけに 人の心も白雲(しらくも)の 立ち煩(わづら)へる気色(けしき)かな」 「いやいや、キュウゾウ殿、なかなかに色っぽい舞で。 維茂は、この世の人とは思えないこの美しい女に惚れてしまいます」  リキチの頭の中に、あのカンベエとキュウゾウが 初めて出会った日の場面が浮かぶ。 二人共、刀を抜いて・・・。 そう、あの時もキュウゾウの剣はこの舞のように、 カンベエの心を引きつけたのだった。 そして剣のことなど何ひとつ知らないリキチも、ただ見惚れていた。 単純な心で、美しいと感じていた。 「やがて維茂は酒に酔い、眠ってしまいます」  ヘイハチがにこっと笑う。  維茂役のカンベエが寝入ったことを確かめると、 キュウゾウは木の後ろに消えてしまう。 「あれ?女の人が消えちまっただな」  と、リキチが残念そうに呟く。 村人達も、どうしたのかとざわついた。 「あの女性、実は鬼だったのですよ」 「へ?」  ヘイハチの言葉に、リキチが間の抜けたような声で 返事をしたのと同時だった。 紅葉の葉陰から、二振りの刀を抜きつつキュウゾウが躍り出て来たのだ。 まさにその姿は、黄金の髪を振り乱し、 燃えるような目をした鬼の姿であった。 彼の髪の間に角があるのでは、とリキチが思ったほどだった。 「うわあああ!!!」  村人達から悲鳴が上がる。 子供は泣き出し、マンゾウは腰が抜けたのか、 あわあわと隣にいた娘のシノにしがみついた。  そんな騒ぎには構わず、キュウゾウはカンベエに斬りかかって行く。 起き上がったカンベエも、傍らに置いてあった刀を抜いて、それを止めた。 合わせた刃から、火花が散った。  二人、一旦離れて間合いを取る。  先ほどまでとは打って変わって、 村人達の間にぴんと緊張感が張り詰める。  カンベエ(平維茂)とキュウゾウ(貴女)との間にも、 もはや恋人同士の甘い雰囲気など微塵もない。  キュウゾウが、カンベエに突っ込んで行く。 攻めるキュウゾウに、カンベエは追い詰められて行く。 「ヘイハチ様・・・、激しい舞でごぜえますな」  リキチが不安そうに言う。 「ん?ああ、これはきっと、キュウゾウ殿の独創的なもので・・・」  ヘイハチが見ると、村人達は立ち上がり後退りしている。 「まさか、キュウゾウ殿は本気で、 ここでカンベエ殿と決着をつけるつもりじゃあ・・・」  カンベエに思いきり弾かれたキュウゾウが宙を舞い、 木の幹を蹴って再びカンベエを上から襲う。 カンベエは刀でキュウゾウの攻撃をかわしたが、 彼に客席の方へ蹴り飛ばされてしまった。  キャーキャーと逃げ惑う村人達。  更にカンベエを追って、キュウゾウが両の手に刀を引っ提げて こちらへ向かって来るものだから、パニックになってしまった。  体勢を立て直して、キュウゾウを迎え撃つカンベエ。  カンベエの顔の横すれすれに、キュウゾウの右の刀がかすめる。 彼の左の刀はなんとか弾いた、カンベエ。 そしてカンベエの刀は、無防備になったキュウゾウの胸を貫いた。 ように人々には見えた。  悲鳴を飲み込んで、村人達はその場に立ち尽くしてしまう。  ここで、「紅葉狩」の謡が終わった。 「剣(つるぎ)に恐れて 巌(いわお)に登るを  引きおろし刺し通し  たちまち鬼神(きじん)を 従へ給ふ  威勢の程こそ 恐ろしけれ」  キュウゾウがカンベエの横をゆっくりと、前のめりに倒れて行く。  落ち葉の上に倒れた彼の紅い上着が、リキチには血に見えて目を見張った。  カンベエは平然として、村人達に言った。 「さあ、本当の鬼退治はこれからだ。 野伏せりも、このように斬って捨てよう」  しかし、村人達は口をつぐみ不安そうにしている。 その原因がわかると、カンベエは刀の先でキュウゾウをつついた。 「これ、キュウゾウ、早く起きろ。 皆が心配しておるぞ」  キュウゾウが目を開けて、カンベエを睨む。 「ほれ」とカンベエが差し出した手を無視して、立ち上がる。  皆一様に、安堵の胸をなでおろした。 「少しは手加減してくれ」  とカンベエが言うのに、 「したつもりだが」  とキュウゾウは、あっさりと返す。 そして 「おぬしの方こそ、これはないだろう」  と、紅い上着を少し広げて不満気に言う。 刀に貫かれて、穴が開いてしまっていた。 「また、キララ殿に繕ってもらえ」  カンベエが苦笑しながら言った。  その他愛ない会話に、村人達にやっと笑顔がこぼれた。  しかし、リキチだけはなぜか不安を覚える。 あの倒れた姿が、近い将来、 キュウゾウの身に起こることを予知しているようだ、と。 そんな考えが浮かんで、「馬鹿な」と強く否定した。 あのキュウゾウに限って、そんなことはない。  キュウゾウだけでなく、七人のサムライ達の誰も このような姿になるはずがないのだ。    だが・・・  ゴロベエが戦で斃れた。  信じられない光景だった。  リキチ自身も傷を負って、床に伏せっていた。  カンベエは村を出た。 都(ミヤコ)に囚われているという、 リキチの女房を助けるために旅立ったのだ。 キュウゾウも、それを追うように村を出た。 「あの方は、先生との雌雄を決するために同道していました。 先生のいなくなったここには、もう用はないのでは・・・」  リキチの見舞いに来たカツシロウが、愚痴を言う。 リキチが、キュウゾウもカンベエと同じ思いで 都に向かったのだろうと、言ったことに対してであった。 カツシロウを、若いなとリキチは思った。 人間を、ひとつの方向からしか見ていない。 「カンベエを斬る」と言いながら彼を守り、 村人達に関心がなさそうで命がけで守る。 相反する感情が、ひとつの心に宿る。 その不思議さ面白さを、この若者は気がついていない。 もしかしたら、キュウゾウ自身も。 「米に宿りし七人の神様も、もはやバラバラだな」  投げたようにカツシロウが言った。  そんなことはないのだ、とリキチは言いたかったが、 カツシロウのかたくなな表情を見て、やめた。 亡くなったゴロベエを始めとして七人のサムライは、 今もちゃんと神無村(ここ)にいる。 離れてしまったのは、カツシロウの方だとリキチは思った。   それから蛍屋でカンベエ等と再会した時、 果たして、キュウゾウはカンベエの傍らにいた。  そして当然のように、そのまま都との戦に身を投じてくれたのだった。  やはり彼も、七人のサムライの中の一人だったのだとリキチは確信した。 米で雇った、神無村(おらたち)のサムライ・・・。 「村で待つ」  カンベエの口から聞いた、キュウゾウの最期の言葉に リキチは胸がしめつけられる思いだった。 「お探しするべ」  リキチが立ち上がって、皆に言った。  沈んだ都の瓦礫の中から、キュウゾウを探す。 一人、二人と立ち上がり、傷ついた者達も全て、 まだ戦の生々しさが残る地へと向かった。  大戦を駆け抜け、商人(アキンド)に仕えながらも サムライであることを忘れなかったキュウゾウの最後の地が、 この神無村であるならば、この地にきちんと彼を葬ってやりたい、 そうリキチは願った。 村人達にも、それが通じたのであろう。  瓦礫の中を、人々は丁寧に捜索した。 割れ物を探すかのように。  ― そしてキュウゾウを見つけた。  戦闘服を貫いた銃痕が痛々しかったが、 金色の髪はあの舞の時のように輝き、彼の顔の上に柔らかくかかっていた。 強い光を宿していた紅い瞳は閉じられて、再び見ることはかなわない。  何かの力で守られていたのではないか、と思われるぐらい 彼の身体は生前の美しさを湛えてそこに横たわっていた。 「キュウゾウ様・・・村へ帰りましょう」  リキチは思わず声をかけていた。  リキチの頬を、白いものがかすめる。  その冷たさにはっと見ると、ひとひらの雪であった。 それはキュウゾウの唇の上に舞い降りた。 雪は融けることなく、彼に口付けていた。  村は冬支度に入る。  冬を乗り越え、春、サムライ達は それぞれの生きる場所へと旅立って行った。  これからサムライは、ますます生き辛くなるだろう、 とリキチは彼等の行く末を思った。  そんな時代が、キュウゾウを手放したのだとしたら、 生き残ったサムライ達は、更にこの時代を生き抜けと背中を押されたのか。 秋、リキチは辛くなるとは思いつつも、森へと足を向けた。 森の中は、一年前と少しも変わらなかった。 真っ赤な紅葉が舞っている。 その中に、鬼の姫を舞っていたキュウゾウの姿を見る。 紅葉は、キュウゾウの手の中で妖艶に舞っていた扇の姿と重なる。  彼の瞳の色と重なる。  彼のまとっていた紅い上着と重なる。  彼の・・・。  彼の・・・。  来年も再来年も、自分はここへ来るであろうとリキチは思う。  ここへ、キュウゾウの舞を見に来るのだ。 「散るか真拆(まさき)の葛城(かづらき)の  神の契りの夜かけて  月の盃さす袖も  雪を廻らす袂かな  堪へず紅葉(こうよう) 堪へず紅葉 青苔(せいたい)の地」 (終) ☆ あとがき  村人達がキュウゾウの亡骸を探す場面は、小説を参考にしました。  次回作品は、今回の「紅葉狩」のお話と平行したものになります。  オリジナルキャラ(男)との絡みになります。  苦手な方は、ご注意ください。 ※ 謡曲「紅葉狩」       観世小次郎信光 作   参考文献    新潮日本古典集成「謡曲集」