深雪(みゆき・前編) −マンゾウ・シノ親子とキュウゾウー

「カンベエ、知っているか。この村には、雪が降るのだそうだ。 真っ白な雪が、山も谷も田んぼも全て包み込んでしまうのだそうだ。 お主、想像できるか」    あまりにもはっきりとキュウゾウの声が聞こえたので、 マンゾウはハッとなって目を覚ました。 外の雪のせいで、家の中はぼんやりと白く輝いていた。  キュウゾウが雪を心待ちにしていたことは、カンベエから聞いた。 そのキュウゾウに、村の雪景色の様子を語ったのはマンゾウだった。  家の戸口が賑やかになる。 乱暴に扉が開けられ、子供が二人、我先にと家の中に駆け込んできた。 後からシノが雪を払いながら入って来て、子供達を叱った。 「そんなに叱るな。オラはとっくに起きとったで」  マンゾウは体を起こした。 祖父にかばってもらうと、けろっとしたもので子供達は 「遊んで来る」と言って表へ飛び出して行った。 「はあ、子供は元気がいいなあ」  マンゾウはその姿に、子供の頃のシノを重ねて目を細めた。 「おサムライ様のお墓のある丘まで、とっとこ走って行っちまうだよ」 シノも子供のたくましさを頼もしく感じて、嬉しそうにマンゾウに話した。  マンゾウは、墓地へ続く坂道を思い出す。 毎年、この足で上っていた道を、 今年は遂に歩くこともできないようになってしまった。 「シノ、おサムレエ様達はどうだった?」  マンゾウは、昼の支度を始めたシノの背中に問いかけた。 「ん?変わりねえよ。 そだな、今日は雪さ降ったから、えらい静かだったなあ」 「そうかぁ」  野菜を刻みながら、シノはふと父親に訊きたくなった。 「お父う、ひとつ訊いてもええだか?」 「ん?何だぁ」 「何でお父うの墓参りは、必ず初雪の降った日なんだ? 誰かと約束しただか?」 「うんにゃ」  そう言っただけで、マンゾウは口を閉ざした。  シノが父親を見ると、心の中を整理しているかのように、 静かに布団の上に座っていた。 それが全てを超越してしまったかのように見えたので、 シノは胸騒ぎを覚えた。 「お父う、言いたくなければいいだよ」 「シノ、昔話にちょっとつきあってくれるだか」 「だども・・・」 「大丈夫だあ。今日は気分がええで」  二十年近くも前のことだ。 サムライを雇って野伏せりを倒してもらう、という話がまとまった。 しかし、実際に彼等が村へやって来ても、マンゾウの心は揺れ動いていた。 その自分の心を村人達にぶつけて、人々の不安をあおった。  カンベエというサムライと村の長老との間に話し合いが持たれたが、 マンゾウは承服できなかった。 「冗談じゃねえ。野伏せり様に刃向かった村は、皆殺しにあうだ」  真っ暗な道を、マンゾウは提灯ひとつでぼんやりと歩いていた。 と、行く手にいきなり人が現れて、心臓が止まるかと思うほどびっくりした。 村へ来たサムライの一人が、ぼうっと幽霊のように立っていたのだ。  金色の髪が、提灯の灯りを受けて光っている。 そして表情のない紅い瞳が、マンゾウを見下ろしている。 そのサムライは村人達との話し合いに加わらずに、外にいた。  他のサムライ達が、かたくなな村人達の心を解きほぐそうとする 態度を見せていたのに、彼だけは我関せずといった風だった。  田んぼの様子を見に行く、といい加減なことを言いながら サムライの横をすり抜けようとした時、いきなり彼は刀を抜いた。 「ひいいいー!」  女のように悲鳴を上げた自分の姿が、よく手入れされた刀身に映しだされた。 (斬られるっ!シノッ!)  娘の名を心の中で叫んだ。腰が抜ける。 しかし、サムライが斬ったのは提灯であった。  提灯は地面に落ちて、ひとしきり燃えた。 その炎に揺れる紅い瞳が、マンゾウを冷たく見ていた。 「もう、戦は始まっている」  陰気な物言いだった。 「生意気な小僧だと、思ったべ」  床の上に正座して話していたマンゾウが、ふっと笑みをこぼした。 「まさしく、あの大戦時のおごり高ぶったサムライそのものだと思っただ」  シノが台所から鍋を運んで来て、居間の中央に四角く切られた囲炉裏にかけた。  その夜の出来事を、シノは知っている。 父親のことが心配で、家には帰らずにこっそりつけていたのだ。  サムライが刀に手をかけた時、父を助けねばと思いながらも、 身が竦んでしまって動くことができなかった。  暴力の前では、自分達農民は惨めに地面に這いつくばるしかない。 そして命乞いをする。米を差し出す。 好いた女さえも望まれれば、ひねくれた笑顔で差し出すしかないのだ。 シノは唇を噛んだ。  サムライはその状況から農民を救い出しに来てくれたのか、 それとも、野伏せりに取って代わるだけなのか。  紅いサムライが切った提灯が、地面の上で凶暴に燃えていた。  翌朝、カンベエは広場に村の老若男女を集めた。 彼等の前で、他の六人のサムライ達にてきぱきと指示を与えて行く。 そうすることによって、士気を高めようというのだろう。 「キュウゾウは」  カンベエが、金髪のあの薄気味悪いサムライに向かって呼びかけた。 「キュウゾウというのか、あのおサムレエは」  キュウゾウはカンベエに名を呼ばれ、金色の髪の間から覗く紅い瞳を 面倒臭そうに開けたかと思うと、また直ぐ閉じてしまった。 紅い瞳に合わせたかのような紅い色の上着は、鮮やかというよりは 彼がまとっていると血の色に見えて不気味だ。 マンゾウはぞっとして、キュウゾウを見ていた。 「おい、えらいことになっちまっただな」  隣でゴサクが、マンゾウをつっついた。 「え?」 「何だあ、聞いていなかっただか。 男衆は、弓の稽古をするんだと」  しかも指南役は、あのキュウゾウだという。 「そしたら、オラ達も戦をするだか、野伏せり様と?」 「そういうこった」  サムライ達だけで、野伏せりと戦ってくれるものだとばかり思っていた。 自分達農民は隠し倉で息を潜めて、それが終結するのを待っていればいいのだと。  マンゾウはまず、弓の稽古をする班に振り分けられた。 不満を漏らしているマンゾウに、リキチが声をかけて来た。 「マンゾウ、こうなったら腹さ、くくれ」 「お前も、あのキュウゾウ様とおんなじこと、言うんだべな」  ふて腐れたように言うマンゾウに、リキチは眉を顰めた。 「キュウゾウ様は」  リキチの声が低くなる。 「お仲間を斬って、この戦に加わってくれただ」 「殺しただか?人を」  サムライとはそういうものなのに、 マンゾウは自分でも間の抜けたことを言ったと思った。  まさにキュウゾウにとって、戦はもうとっくに始まっていたのだ。 「お前も覚悟を決めろ」  キュウゾウは昨夜、自分にそう言ったのだとマンゾウは気がついた。 「オラ達は農民だで。一体何を覚悟しろというんだか。 あの人とは、きっと絶対わかりあえねえな」  マンゾウは、キュウゾウを強く睨んだ。 その視線を感じたのか、目をつぶっていた キュウゾウがふっと目を開けてマンゾウを見た。 マンゾウは慌てて視線を落とした。 (オラは卑屈だな)  だが、こうやってうつむいていれば、 何もかもが自分の頭の上を通り過ぎて行ってしまう。 野伏せりも、妻を失った悲しみも。 今まで皆そうだった。 この戦も、こうしている間に通り過ぎて行って しまえばいい、マンゾウはそう願った。  誰かが、こちらへ近づいて来る足音がする。 顔を上げずに盗み見ると、黒地に紅い線の入った洒落た靴だ。 キュウゾウである。 マンゾウは体を固くした。  マンゾウの顎に弓がピッと当てられ、そのまま持ち上げられた。 「顔を上げていろ。敵が見えないだろ」 「へ?へえ」  キュウゾウは持っていた弓を、マンゾウの胸に押しつけた。 マンゾウは渋々それを手に取った。 (敵って誰だぁ?野伏せり様か。それともおサムレエ様だか)  マンゾウはまた、下を向いてこぼしていた。  マンゾウにとっての敵は、じきに確定した。 カンベエは村へ通じる橋を落とし、 橋向こうのマンゾウの家は切り捨てると言った。 「だったら、オラも勝手させてもらうだ。 野伏せり様にサムレエ達を突き出して、 オラの土地だけでも見逃してもらうだ」  マンゾウはシノだけに打ち明けた。 シノは自分の父親ながら、情けなかった。 「お父うのやろうとしていることは、裏切りだ。 そこまで堕ちただか、お父う!」  シノは父親を裏切って、キララとカツシロウに泣きついた。 カツシロウがマンゾウの前で野伏せりを斬った。 マンゾウは裏切り者として、皆の前に引き出された。     キクチヨが間に入って、マンゾウは一応赦されたが、   「二度目はない」  とカンベエは、マンゾウの目を見て言った。  今度裏切ったら、血まみれになって地面に 転がるのは自分だと、マンゾウは震え上がった。 カンベエ達にくみするために仲間を斬ったという、キュウゾウを思い出した。 裏切るということは、誰かの血が流れるということなのだ。  マンゾウは再び、キュウゾウの下で弓の稽古を始めた。 今までいい加減にやっていたから、遅れが目についた。 マンゾウは自主的に、稽古の時間を増やした。  その日も朝暗いうちに、マンゾウは家を出て稽古場へと急いだ。 稽古場にはもうキュウゾウが来ていて、それともずっとそこにいたのか、 マンゾウを認めると篝火を焚いて的を照らし出してくれた。  マンゾウは弦を引き絞った。 「息を止めろ」  キュウゾウが横に立って指示を出す。 「引き寄せて」  耳が痛いほどの静寂―。 「放て」  ヒョウと矢が飛んで行く音も、頼りない。 「こんなことで、野伏せり様ぁ、倒すことができるべか。はあ」  と、マンゾウは空を見上げた。 「雪が来る頃、この村はどうなっているべぇ」  思ったより声が響いたので、愚痴を キュウゾウに聞かれたかと慌てて彼を見た。 「雪が降るか?」  キュウゾウが問いかけて来る。 その穏やかな声に、マンゾウはほっとした。 「へ、へえ、キュウゾウ様。 冬になるとここら一帯、すっぽりと雪に覆われてしまいますだよ。 米のように真っ白な雪が、ふわふわと空から降って来るだ」  マンゾウは掌を広げて、雪を受ける真似をする。 キュウゾウは空を見上げた。 その紅い瞳が、僅かに輝いたような気がした。 雪が降って来るところを、想像しているのだろうか。 (子供みたいだな)  マンゾウはそう思って、キュウゾウには わからないようにちょっと笑った。 そして戦が終わった時、本当にこうやって彼と一緒に 雪が降って来るところを眺められたらいい、と思った。  静寂が破られ、村の男達が稽古場へ集まって来た。  夜が明けても、霧がたちこめていて景色が薄ぼんやりとしか見えない。 それに紛れて奴等は来た。 しかも例年よりも、遥かに多い頭数だった。  マンゾウは震えながらまた、泣き言を言った。 側にキュウゾウがいたが、彼は何も言わなかった。 代わりに農民達が、マンゾウを叱咤激励した。 皆、自分自身に向かって言っているのだ。  マンゾウはキュウゾウを見た。 サムライは顔を上げ、真っ直ぐに敵を睨んでいた。 マンゾウも恐る恐るだが、真っ直ぐに敵を見た。 そうすることで、自分を兵士だと言い聞かせた。 「俺の本当の敵は、あそこにいるだな」 「護るものがあれば、強くなれる」  キュウゾウが誰に言うでもなく洩らした言葉に、 マンゾウは自分の背中が暖かくなるのを感じた。 妻の死後、シノを背負って畑仕事に出た。 あの時の赤ん坊のぬくもり。 それこそが自分の護るもの。  父親としての強さが、マンゾウを支えた。 弓を握る手に力を籠める。  神無村の圧勝だった。 その後、サムライ達が野伏せりの浮遊要塞に潜り込み、 さんざん引っ掻き回して沈めてしまった。  そして再び戦場は、神無村に移された。 まだこんなにいたのか、と思うほど 機械のサムライや鋼筒(ヤカン)達が攻めて来る。 彼等も後がないから必死だ。  農民達も武器を取って戦った。 そしてサムライ達は、刀を抜いた。  家々に火をかけられ、逃げ惑う村人達。 炎と野伏せりが彼等を追い込んで行く。 その窮地を救ったのは、炎の中から飛びだして来たキュウゾウだった。  彼は農民達をかばいながら、野伏せり共を斬りまくった。 マンゾウは興奮しながら、その背中を見ていた。  最後の野伏せり、紅蜘蛛が斃れ神無村は自由を手に入れた。 だが、サムライからも村人からも慕われたゴロベエを失った。  それでも農民達は、田んぼに出て収穫をする。 喜びも悲しみも歌に込め、ひたすら稲を刈った。  カンベエ、キュウゾウが村を去り、 一人また一人とサムライ達が姿を消す。 まだ彼等には仕事が残っているそうだ。  (後編に続く)   ☆SKIPより すみません。神無村の言葉はほぼ捏造です。 ちょっと違うんじゃないのーだったら、申し訳ありません。