銀燭(ぎんしょく)3  −銀時・定春と土方−

   天導衆(てんどうしゅう)の城の廊下に、朝の光が満ちてきた。  爽やかなはずのそれは、土方の試練の終息を待つ身の 銀時にとっては、寒々としたものに思えた。 「連れて帰って良い」  使いの者がそう告げると、銀時は彼を 突き飛ばすようにして、教えられた部屋へと走った。  その部屋の戸に手をかけたところで、動けなくなってしまう。 「この扉の向こうに、土方がいるのに・・・」  たった一枚の、たぶんそんなに厚くない戸を、 銀時は開けることができない。  松平から聞かされた『おぞましいこと』が、 この扉の向こうで行われたのだ。  精神の形だったとは言え、一時は、銀時は土方を助けに行った。  だが、彼はそれを拒んだ。  彼に、護られたのだと思う。  その結果が、この扉の向こうにあるのだ。 「どうした?」  松平の声が、後ろから聞こえた。 「何だよ、怖気(おじけ)づいたのか。 おめェだって、覚悟してここに残ったんだろうが。 ちゃんと自分の目で、見届けろよ」  銀時は震える手をなだめながら、戸を開けた。  暗い部屋の中に、さっと朝日が射し込む。  人いきれに、銀時は顔をしかめる。  あの時、精神の世界で、五人の男達に土方は囲まれていた。  あいつ等が、この部屋で、彼の肉体をも苛んだというのか。  あちらこちらに散らばっている黒や白の布きれは、 真選組の制服ではないだろうか。  土方の心が切り刻まれたようで、辛かった。  そして、彼が・・・いた。  乱れた白い布団の上に、裸の背中を丸めて倒れていた。 「違うだろ、土方。 おまえはさ、いっつも偉そうに胸を張っていなきゃ。 高慢ちきな、真選組副長さんは何処へ行ったんだよ」  憎まれ口を叩きながらも、銀時は自分が着ている 着物を脱いで、土方に掛けようとした。  その手を、松平が止める。 「トシには、やっぱり、こっちだろ」  松平は自分の着ている制服を脱いで、すっぽりと土方を包んだ。  急に影ができて、銀時と松平は戸口の方を見た。  誰かが立っている。  天導衆の一人のようだ。 「すまぬ、松平。 土方は、もう駄目かもしれん。 いい男だったのに、残念だ」  それだけ言って、すっと影が消えた。 「ふざけんな!」  銀時が影を追って、戸口へ走った。 「駄目ッて何だ!?」  廊下を向こうへ歩いていた天導衆が、足を止めた。 「人間(おれたち)は、てめェらの玩具じゃねェんだぞ!」  天導衆が、振り返る。  その目が細められる。 「ほう、おぬし、その眼は・・・あの時の侍か?」  銀時は、答えない。 「土方に、かばってもらったか」  そう言うと、嫌な笑い声を残して、天導衆の姿が消えた。 「わざと、だ」  松平がうめいた。 「真選組は、あいつらの意に沿わない摘発をしてきたからな。 しかもいつも、トシのお陰で、完璧に合法的なやり方で。 今回のこのオークションのことだって、 トシ(こいつ)が見過ごすわけがねェ。 先手を打って、口封じに、潰しやがった・・・」 「ちくしょう」  銀時が、悔しそうに言葉を吐いた。

「ちっくしょうォォォー!!!」

 銀時の怒鳴り声は、城中に響き渡った。 「とてもこんなぼろぼろのトシを、真選組の 屯所に連れて帰るわけにはいかねェな。 真選組(あいつら)、頭に血が上っちまう」  帰りの車の中で、つぶやく松平に、 「俺ン家(ち)で、預かっていいか? って言うか、預からせてくれ」  と銀時は頭を下げた。 「『最後まで見届けろ』って言ったのは、あんただぜ」  医者は松平が手配することにして、 黒塗りの車が万事屋に横づけされた。  銀時は、私室として使っている奥の和室に急いで 布団を敷くと、壊れ物を扱うようにそっと土方を寝かせた。  湯を沸かし、綺麗に体を拭いてやり、傷口には薬を塗った。  最後に、自分の物だが、寝巻きを着せて布団を掛けた。 「土方、おまえ、また、最前線で戦っちまったんだな」  銀時は、眠る土方の前髪をかきあげてやった。  飲み屋で近藤と一緒になった時に、聞いたことがある。  妙の話がほとんどの中で、ぼそりと彼がこぼしたのだ。 「トシはさ、いつも俺の言うこと聞かないで、 先頭切って、突っ込んで行っちまうんだ。 奴の剣の腕は、信じているよ、うん。 でもさ・・・、困ったもんだよ」  何故、近藤がその後、あんなに力なく 笑ったのか、わからなかった。  だが、今ならわかるような気がする。 「駆けて行くおまえの背中を見せられてよォ、 俺は堪らねェよ」  玄関で声がした。  朝から元気な、若い声だ。  銀時は、そちらへ向かって言った。 「新八、神楽、ちょっとこっちへ来い。 話がある」  バタバタと足音がして、和室の襖が開けられた。  と、それまでの明るい声が、鳴りを潜めた。 「土方・・・さん?ですよね」  新八が、銀時に確かめるように訊ねた。 「まあ、ここへ座れや」  銀時が、トントンと畳を軽く叩いた。  新八、そして神楽が傍らに座った。  銀時は、土方がどういう経緯で 万事屋(ここ)にいるのか話した。  相手が子供故に、土方に対して行われた 『むごいこと』の内容は、詳しくは語らなかったが。  自分達が突っ走ったせいで、土方が 責任を取ったのだ、と銀時は苦しそうに言った。  もちろん、後で沖田を捕まえて、彼にも話そうと思っている。 「だけどよ、俺は煉獄関(れんごくかん)に 乗り込んだことは、後悔しちゃいねェんだ。 だから、おまえらも胸、張ってていいんだぞ。 ただ・・・な」  銀時は、眠っている土方に目を落とす。 「ただ、土方(こいつ)には、でっかい 借りを作っちまったな、って思ってる」  重い空気の中、土方が身じろいだ。  ゆっくりと、目蓋が上がっていく。 「気がついたか、土方」 と声を掛けた銀時を、土方は見た、確かに。 「はっ!」  短く叫ぶと、土方は布団の上に跳ね起き、 片膝をついたまま戦闘態勢に入る。  しきりに片手で床の上を探っているのは、 刀を探しているのだろう。  銀時は、土方の方へ手を伸ばす。  その手を払いのける、土方。  負けずに、銀時は土方の頬を両手で包んだ。  土方の容赦ない拳が、銀時の腹に食い込む。  だが、その拳には思いのほか、力がなくて・・・。  頬も冷たくて・・・。 銀時は悲しくなって、土方をしっかりと抱き込んだ。 「もう、いいんだ、土方。 終わったんだよ、おまえの闘いは」  だが、土方の拳は止まらない。 「まだだ」 「え?」 「まだ、終わっちゃ、いねェ」  その言葉ほど拳には力がなく、銀時の胸を叩く。 「土方?」  その機械的な動きに不安を感じて、 銀時は土方の顔を覗き込む。  目の焦点が、合っていない。  朦朧としている様子だ。 「おい、土方! 土方、しっかりしろ!」  銀時が、土方の両方の肩を掴んで揺さぶる。  そこへ白い大きな塊が、銀時と土方の間に割って入って来た。 「定春(さだはる)?」  神楽が、その白い巨大な犬の名を呼んだ。  土方の拳が、定春の白い毛の中に埋まって止まった。  定春は、その手を優しく舐めた。 「クゥーン」 土方を慰めるような鳴き声に、銀時も胸が締めつけられた。  意識を失って倒れて行く土方の体を、定春が柔らかな毛で 覆われている自身の身体で、しっかりと受け止める。  定春に包まれて、土方は再び眠りに落ちた。  その日から定春は、眠る土方の側を片時も離れなかった。  土方の頬に、自分の頬をくっつけて温めてやったり、 わずかに彼の指が動くと、促すように舐めてやった。 「定春は、不思議な犬ネ。 傷ついた心に、敏感アル」  神楽が、定春を見ながら、銀時に言った。 「そうなのか」 「私も、随分慰められたネ。 だから、土方も大丈夫ヨ。 きっと、定春に元気にしてもらえるアル」 「そうだな」  そう言いながら、土方の髪を優しく撫でる銀時に、 「銀ちゃんも、元気ないアル」  と神楽が、心配そうに言った。 「定春」 「アン」  定春が、神楽を真っ直ぐに見詰める。 「銀ちゃんのことも、慰めるヨロシ」  三日たっても、土方は目を覚まさない。  様子を見に来た松平が、 「このままの方が、トシは幸せなんじゃないか」  とぽつりと言った。  憤慨する、銀時。 「こいつを、誰だと思っている? 真選組、鬼の副長、土方十四郎だぞ。 そこらの雑魚(ざこ)と一緒にしてもらっちゃ、困る」  松平が驚いたように、大きくまばたきをした。 「今は傷ついて、ちょいとヘタレているだけなんだ。 こいつは絶対に、また立ち上がる」  そう息巻いてから、銀時はうなだれてしまう。 「でないとさ、俺までヘタレちまうんだよ」 「おめェ・・・」 「あんただって、土方のアノ写真、撮ったんだろ」  松平は制服で土方を包む前に、彼の裸の写真を撮っていた。  とがめる銀時に、それは以前から土方と約束していたのだ と、松平は語った。  自分が暴行された写真を、証拠として残して おいて欲しい、と土方は松平に依頼していたという。  それを聞いた時、銀時は土方の厳しさに唖然とした。 自分をも利用しようとする、まさしく策士だ。 「土方は、負けたままじゃ、いねェ」 それは確信だった。 「あのオークションを潰すために闘うとしたら、 トシには辛ェもんになるぞ」 「だけど、あいつは言ったんだ。 まだ終わっちゃいねェ、と」 そうか、と洩らして松平は帰って行った。  彼を玄関で見送ってから和室に戻ると、 定春が土方の隣に寝そべっていた。  定春がこうして側にいると、心なしか土方の寝顔が 安らかなものになっているような気がする。 「定春」  定春が顔を上げて、銀時を見る。 「おまえ、もしかして、夢の中で土方に会っていたりする? だったら、頼むよ。 俺を、土方に会わせてくれ。 あのオッさんの言う通り、このまま 土方が帰って来なかったら・・・」  後は、言葉にならなかった。  松平に対しては強く言ったが、銀時の 心の中は不安でいっぱいだったのだ。  医者も半ば、見放していた。  心は壊れ、現実に絶望して夢の世界へ 逃げたのではないか、と。 「ワン!」  定春が、銀時に返事をするように、鳴いた。  すると、銀時の体が動かなくなってしまった。  天導衆の城でいきなり陥った、あの現象に似ている。  心が体を離れて、ふわふわとした感覚に襲われる。  川の流れる音がする。  銀時は、ゆっくりと目を開けた。  途端に、目に飛び込んでくるきらきらとした 銀色の光が、まぶしかった。  目の前には、穏やかに流れている川。  その表面に太陽の光が反射して、銀色に輝いている。 「ここは、一体・・・」 「ワン!」  定春の声が、聞こえた。  見ると、定春がこちらに向かって走って来る。 「噛まれる!」  と身構えたが、定春は大きな額を 銀時の背中に押しつけてくるだけだ。  どうやら、どこかへ連れて行こうとしているらしいのだが。  背の高い草をかき分けて、定春に 促されるまま、川伝いに歩いて行く。  そこに、懐かしい背中を見つけた。  真選組の黒い制服に身を包んだ、 土方十四郎、その人の背中だ。 「バーカ、おめェ、かっこ良すぎだってェの。 俺だって、背負ったもの全てを、護り切れなかったというのに」 彼の背中に、銀時は語り続ける。 「おまえは、俺だけじゃねェ、新八も神楽も、 真選組も皆、その背中で護り切っちまいやがって・・」  黒い背中が、振り返ることはなかった。  聞こえていないのだろうか。  銀時はその場を離れることなく、彼の背中を見詰めていた。  と、土方の左手が動いた。  はっとなる、銀時。  左手が、拳銃の形を作った。  拳銃は、土方のこめかみに当てられる。 「よせ!土方!」  偽物の銃だとわかっているのに、焦って銀時は叫んでいた。  いきなり、土方がこちらを向く。  指が動いて、引き金が引かれる。 「バーン!」  土方が、銃声を真似る。  それは、懐かしい土方の声なのに・・・何て恐ろしい。  「土方―ッ!!」          (4につづく)