抱きしめたいのに  43〜63話

BL表現等がありますので、お気をつけ下さい。 43  仕事が終わり工場を出ようとした時、 ふいに後ろから抱きすくめられる。 「サ〜クラちゃん♪」  俺は思わず悲鳴を上げて、その手を振りほどいた。  男達の荒い息遣い、俺の体を翻弄する手の感触が蘇る。  振りほどかれた堺さんが、びっくりして俺を見ている。  他の人達も何事かとこちらを見る。 「堺さん、セクハラしちゃダメだよ」 「サクラちゃん、訴えちゃいな」 「いや、俺はただ、飯でも一緒にどうかなあ、と。 顔の傷の武勇伝も聞きたいし」 堺さんは、ばつが悪そうに言い訳をする。 「サクラちゃん、いつも笑って許してくれたよね。 今日はどうしたの?」 堺さんは、納得がいかないといった顔をした。 そうだ、堺さんのこの手のスキンシップはいつものことだった。 俺がダメになっているだけなんだ。 「すみません、考え事してたから、ちょっとびっくりしちゃって」 俺は堺さんに頭を下げて、急いで工場を後にした。  途中何度も後ろを振り向いて、確かめる。 思い出してしまったアノ男達に、つけられていないか、と。  家に近づいて来ると、緊張する。  様子を窺い、家の前に誰もいないとわかるとドアに 素早く身を寄せ、鍵を開けて体を中に滑り込ませた。  44 ドアチェーンをかけてから、過剰に警戒している自分に笑ってしまう。  三和土(たたき)から暗い部屋を眺める。  そこは服部との甘い想い出だけではなく・・・いや、 それを真っ黒に塗り潰してしまう記憶が俺を迎えている。  引っ越したいが、ここは工場の社宅だ。  出るとなるといろいろと詮索される だろうし、家賃だって馬鹿にならない。  上がりがまちに腰掛けた。  部屋に上がる気にならない。  男達の影に怯えている。 「大丈夫、大丈夫」  声に出して、自分を励ます。 「アレは終わったことだ。 もう誰もいない。 誰もここへは入って来られないんだから」  今朝、家を出る前に家中ぐるぐるまわって施錠を何度も確かめた。 「佐倉先輩、大丈夫ですよ」  服部が俺を優しく抱きしめて、そう囁く。 「服部!」  振り返っても、服部の姿はなかった。  自分で自分の肩を抱きながら、 服部の口真似をしていたのだ、と気づいた。 「なんだ、ひとりに戻っただけじゃないか。  すごろくで『ふりだしに戻る』が出ただけさ」  強がってみせるが、落ち込んでいることは自分がよく知っている。 「悔しいな」  いつまでもアイツらに暴行されたあの時間に、留められている。 「いつになったら、先に進めるのだろう」  俺は夕食も摂らずに、そのまま玄関で眠ってしまった。  体の方もまだだいぶ参っていた。 45  佐倉先輩に会わないまま、俺は大学の 卓球(ピンポン)同好会の夏合宿に参加した。  リゾート地としてちょっとは名の知れた湖の、 民宿に泊まり込んで卓球の練習に励んだ。  と言ってもそこは同好会だから、ゆるいものだったが。  高校の時は佐倉先輩と二人きりの弱小卓球部に合宿など あるはずもなく・・・よって、俺は初めての “合宿”なるものを大いに楽しんでいた。  ふと気がつくと、夏休み前に俺に告白してきた 西条香織(さいじょう かおり)がいつも俺の隣にいた。  彼女がそうしていたのか、香織の気持ちを知っている 女子達がそう仕向けたのかは分からないが。  ボートを一緒に漕いだり先輩の冗談に笑ったり、 卓球の練習でペアを組んだり・・・そんなことがいいな、 と俺は素直にそう思えた。  もしかしたらそんな心地良さに浸りたくて、 俺の方から彼女にくっついていたのかもしれない。 佐倉先輩と会うたび、本当に彼は俺を好きなのだろうか という疑問が、澱(おり)のように俺の心の中に積もっていった。 俺は『佐倉先輩が好きだ』という自分の心をも疑うようになった。  香織に告白された時、はっきりとした返事をしなかったのは、 先輩との間がダメになったら彼女とつきあおうとして・・・なのかな。 自分でも愕然とするぐらい卑怯な考え。  そして俺は合宿の最後の日、夕食後に彼女を外に呼び出した。  湖に出る道を、二人で歩く。  俺の少し前を行く香織。  その背中が、最後に見た佐倉先輩の背中と重なって俺は息を呑んだ。  男達に荒らされた部屋を、男達になぶられた体を 丸めるようにして片付けていた先輩。  傷つけられた彼の心は見えなかったけれど・・・ いや、俺は見えていたはずなのに、目を逸らしてしまったんだ。  香織の背中に声をかけたのは、 自分の気持ちを楽な方へと逃がすために。 「香織」  小さな体が立ち止まり、俺の方を振り返る。 「俺とつきあってくれる?」  はにかみながらも「うん」と短く返事をしたのが 可愛くて、俺は彼女を引き寄せた。  喜びで体を震わせる香織。  抱きしめるのは、この人でいいのか?  抱きしめた時、自分に暴行した男達を思い出して怯えた 佐倉先輩を、いとおしいと俺は少しでも思わなかったか。 46  工場が定刻に終わり、俺は自転車置き場へ向かおうとしていた。 「佐倉」  工場長に呼び止められた。 「ほら、あのー、服部君だっけ? 夏休みの始めに一回顔出しただけで、ちっとも来ないな」 「あ・・・大学生ですから、いろいろと忙しいんでしょう」  なんで服部のことなんか・・・。  俺は工場長に一礼して、歩き出そうとする。 「おまえ、最近、元気ないからさ。  あの子と何かあったのかと思って」 「何もないですよ」  俺は無理矢理笑顔を作って、明るく続けた。 「工場長にこき使われて疲れてるだけです、なーんてね」  工場長から笑いを引き出すことに成功して、俺は自転車に乗った。  事務所の前を通った時、電話が鳴っているのが聞こえた。  自転車で工場の門をくぐる。 「ハイ、チーズ!」  いきなりのフラッシュに、目がくらんだ。  デジタルカメラを構えた石井が、にっと笑う。  悪夢の続きの始まり・・・か?  俺の身体は強張り、動かなくなってしまった。  石井の横には車が停まっていて、窓から野川と神山が 顔を出し、やはり俺の方を見てにやにや笑っていた。  車の向こう側の運転席から、滝本が降りて来る。  耳に携帯電話をあてている。  ドアが開けっ放しなのだろう、工場の事務所から 大きな工場長の声が聞こえてきた。 「はい、もしもし、もしもーし!」  同時に滝本が携帯を切る。  そしてもう一度、携帯のボタンを押す。  事務所の電話が鳴る。  再び工場長が電話に出る声がする。  滝本が受話口を俺の方へ向ける。  工場長の怒鳴り声が、そこからも工場からも聞こえてくる。 「あんた、いい加減にしろよ!  悪戯電話掛けてきたって、ココには野郎しかいないんだよ!」  電話が切られる。  すると滝本が送話口に口を近づける。 「野郎共を悦ばせるのがうまいサクラちゃん、お願いしまーす」 47  自転車のハンドルを握る手に、嫌な汗をかく。 「佐倉、乗れよ」  野川が内側から車のドアを開ける。 「お・・・まえら」  悪夢に怯えこいつらを呪い、 そして最後には自分を責めて疲弊させる。  そんな日々を積み重ねてきた。  もう、たくさんだ。 俺は固まっていた体に喝を入れ、自転車を漕ぎ出した。 滝本が立ち塞がる。 「ドライブ、行こうぜ。  あの晩、約束したろ」 「どけ!」  石井が寄って来て、デジタルカメラを差し出す。 「添付ファイル付きでサクラちゃんの全てを、 工場のおっさん達に暴露しちゃおうか」 「やれよ」  脅しになんか乗らない。  野川と神山が同時に口笛を吹く。  いつの間にか、この二人も俺の後ろに来ていた。  男四人に、自転車を囲まれる形となっている。  彼らに暴行を受けた夜の酒の匂いとか歪んだ欲望が、 夏の一日の暑さを凝縮したような夕方の空気と 混じりあって俺にべっとりとへばりつく。 「俺はもう、一番大事なものを失くした。  だから、もう・・・いいんだ」  静かに拒絶する。  滝本の顔から一瞬、笑いが消えた。  だがすぐに、人を馬鹿にしたような笑顔を貼りつかせてしまった。  神山が俺の背中に抱きついた。  ふくふくとした厚みのある手の平が 俺の腹にまわされて、彼の熱を伝えてくる。 「ひっ・・・!」  呼吸が止まる。 「ねえ、今、思い出したろ?  あの夜の俺を」  神山が俺の耳元で囁く。  汗が一気に冷えてしまったようで、その寒さに俺は身を震わせた。 「あっ、ズリぃ。 なあ、俺が一番良かったよね?」  石井が俺の肩を抱こうとする隙を 衝いて、俺は自転車を発進させた。  神山を振り切り、滝本の横をすり抜けて逃げる。  罵声と嘲笑が浴びせられる。  工場の人達にも聞こえただろうか。  あいつら、これからもずっと、こうやって 突然現れて俺を苦しめるつもりなのか。 48  卓球(ピンポン)同好会の合宿が 終わっても、俺は故郷に帰らなかった。  佐倉先輩とばったり遇ったりしたら、気まずい。  それに、つきあい始めた香織が東京の人間だったので、 彼女と過ごす時間が欲しくて都会へ戻ったのだった。  おずおずと手を伸ばし相手がそこにいることを 確かめるような、そんな時を彼女と一緒に積み重ねていく。    それは、楽しいと思う・・・んだよな。  会う度に、彼女の新しい面を発見するのも嬉しい、たぶん。 “佐倉先輩”という荷を降ろして、 俺の心は軽くなっているはず・・・だった。  でも、機械じゃないんだから、 そんなに簡単に消去できるわけもなく。  その上に、香織を背負い込んでしまったような感じだ。  俺の心は、身動きがとれなくなっていく。  初めは・・・ちょっとすねて、 佐倉先輩を困らせようとしただけだった。  最後は俺が謝って、ハッピーエンドにするつもりだったのに。  先輩とは別れてしまったけど、“香織”という可愛い 女性と一緒に生きていくことになったじゃないか、 と自分に言い聞かせる。  これもひとつの、ハッピーエンドだろう。  香織は俺の中の佐倉先輩を、徐々に 自分の存在で消滅させていくに違いない。  今夜、彼女は初めて俺の部屋に入った。  二人共緊張している。  ぎごちない会話に、照れ笑いする。  香織が作ってくれた夕食を食べ、二人で後片付けをし・・・ そして緊張感がピークに達した時、俺の携帯電話が鳴った。  表示されたのは“工場長”の文字。  佐倉先輩が勤めている工場の工場長だ。  俺が大学に合格してこっちへ出て来る時、独りになってしまう 佐倉先輩を心配して何かあったら連絡して欲しい、 と携帯の電話番号を工場長に教えておいた。  先輩に何かあったのか?  だけど何かあったとしても、今の俺は・・・。 49  玄関のインターフォンの呼び出し音が 鳴ったような気がして、俺は目を覚ました。 「夢?」  再び眠りに落ちてしまいそうになる。  しかし、チャイムの音がはっきりと聞こえた。  それに混じって、玄関のドアを叩く音も聞こえる。  こんな真夜中に俺を訪ねて来るなんて、誰だろう。  ふっとよぎる服部の顔。  ありえない、と期待を打ち消して布団から出た。  玄関の灯りを点けると、外の人間も 気づいたらしくドアを叩く音が大きくなる。 「誰?」  玄関のドアを開けずに、俺は訊いた。  人との対応には、慎重になっている。 「佐倉、俺だ、滝本だ」  返って来た名前に、寝ぼけていた意識がぴりりと逆立つ。 「頼む、佐倉、入れてくれ」 「そんなこと、できるわけないだろ」  この家で何をしたか、綺麗さっぱり忘れてる? 「あの女、警察に駆け込みやがった」  滝本の声が近くなった。  そして切羽詰まっているのがわかる。  ドアに近づいて、必死に喋っているのだろう。 「あの女・・・って?」 「おまえに断られたから、代わりにドライブに連れて行った女だよ。  貧相な体のくせに、ぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」  嫌悪感に吐き気がする。  こいつら、まだそんなことを・・・。  で、遂に女に逆襲されておたおたしているわけか。 「自首しろよ」 「石井も、神山も、野川も、逃げちまいやがった」 「は?」 「車のナンバー、見られた。  だから、警察に俺だってわかっちまって。 あいつら、俺をおいて逃げちまったんだよぉ」  グループは、あっさり解散か。  あんなに結束の固さを自慢していたのに。 「佐倉ぁ、俺と一緒にいてくんねェ?  一緒に逃げてくれ」  50 「何で俺が・・・? そんな義理はないだろ」 むしろ、警察に訴え出た女の味方になりたい。 「滝本、警察に通報しないのは、せめてもの友情だ。  どこへなりとも逃げるがいい」  俺は玄関の灯りを消した。  滝本がドアの前から去って行く気配がした。  緊張感がゆるみほっとした時、タイヤが軋む音が迫って来る!  同時に玄関のドアも壁も滅茶苦茶に破壊して、車が突っ込んで来た。  俺は居間の方へ、身を投げ出すようにして逃げた。  強く胸を打って、一瞬呼吸が止まる。  瓦礫が襲う。  車が俺の脇ぎりぎりで停まった。  運転席のドアが開いて、滝本が降りて来る。  瓦礫の中から俺の腕を引っ張って起こすと、助手席に押し込んだ。 「おまえがドライブ、断わったからこんなことになったんだ。  全部、おまえのせいだ」  笑ってしまうぐらい、そんな余裕は なかったけど、ガキの言い分だ。 51  それから滝本と二人きりの逃避行となった。 ハンドルを握りしめた滝本は、 「石井が最初にやろうと言った」とか 「自分はあいつらに引き摺られていただけ」 などと繰り返しぶつぶつと呟いている。 誰かに責任を転嫁したいんだ。 他の三人もそうだろう。 四人の男達が、罪をなすりつけあって争う姿が見えるようだ。  そう言って哂ってやりたいが、今は痛みに呻くことしかできない。  背中がシートに押しつけられるような感じが しているから、山道でも登っているのだろうか。  車が停まると、不気味なぐらい音がなくなった。  光もない。 「俺はもう、終わりだ」  ため息と一緒に吐き出された言葉。  と同時に、俺にのしかかってくる滝本。  頭を左右に振って、彼の唇から逃れる。  頭を押さえつけられる。 「なあ、佐倉、おまえだけは俺を裏切らないでくれ」  なんだ、それ?  おまえが先に俺を裏切ったんじゃないか。 「独りぼっちになっちまった・・・俺」 「独りが嫌だなんて・・・俺に言うな」 「佐倉・・・」  滝本にすがりつかれて、俺の顔が濡れた。  そうやって、自分がかわいそうで泣くんだな。  他人のために泣けるような人間だったら、 女の子達にあんな酷いことはしないか・・・。 「死ぬしかない・・・よなぁ」  低く呟かれた言葉に、俺は背筋を凍らせた。 52 滝本が、俺のシャツをたくし上げる。 「その前に、この世の名残」  俺の裸の胸を、滝本の指が唇が這い始める。  自分が不安だから、俺を抱く。  おまえの今の寂しさなんか、俺は受け入れられないよ。  俺は・・・おまえとは違う寂しさをずっと抱え込んでいるんだから。  滝本は自分のシャツを脱ぎ捨て、ズボンも下着も脱いだ。  狭い車内で、遠慮なく俺に体を押しつけながらの 作業なので、俺は時々苦痛に悲鳴を上げる。  この痛さ・・・骨でも折れているのか。 「俺を受け入れてくれ」  性急に俺の体の上を滑っていく滝本の指。  それはすぐに、自分の欲望を満足させる箇所を探し当てる。 「ねぇ、佐倉、アレから誰かと寝た?」 「まさか・・・」  ふっと滝本の吐息が、俺の胸をなでていく。  笑ったのか。 「おまえは、俺のモンだからな」  俺の中へ押入って来て、自分の痛みも苦しみも吐き出そうとする。 「あっ・・・あ、あ、あ・・・やっぱ、いいなあ、おまえの中・・・」 「い・・・嫌だ、おまえなんか・・・うっ!くそっ!」 「俺が嫌いなのか?佐倉」 「・・・ああ」  そう答えた途端、呼吸が苦しくなってきた。 「そんなこと、言うなよー。 独りで死ぬのは、嫌だよぉ」  泣きながら、俺の首にまわした手に力を入れてくる滝本。  俺、殺されるのかな、こんなヤツに。  こんな淋しい、暗いところで。  服部の顔が浮かんでくる。  明るくて暖かいところにいる彼が。  たとえばさ、服部−。 俺が生まれ変わって真っさらな体になって、幸せを 素直に信じられるぐらいあったかい家庭に育って・・・。 あきらめることも知らなくて、さ。 そうしたら、おまえにまた会えたらいいな。 好きだって、もう一度言ってもらえたら嬉しい。 俺もちゃんと言うから。 今度こそ大事にするよ、自分の気持ちもおまえのことも。 そう考えると、死んだ方が希望があるようで怖くなくなった。 53  携帯電話から聞こえてくる工場長の話が、 俺の頭の中に入っていかない。 「え?」「え?」と何度も聞き返す。  電話が切れた後、俺はぼうっとしていた・・・らしい。  ソファーの上、隣に座っていた香織に 揺さぶられて俺ははっと我に返った。 「慎ちゃん、どうしたの? 何か悪い知らせ?」 「・・・佐倉先輩が事故に遭ったって」 「先輩って、故郷(あっち)の?」 「うん、高校の時の」  香織に佐倉先輩のことを話すのは、何だか後ろめたい。 「えーと・・・亡くなったの?」  その言葉に、俺は香織を睨んだ。 「怖い顔・・・」  俺は慌てて笑顔を作る。 「命には別状ないらしい。  入院したって」 「どうするの?帰るの?」 「そうだな」  と俺は、生返事をして立ち上がった。  うろうろと歩きまわって、また香織の隣に座ってしまう。 「何かあったら、こうやって連絡が来て駆けつけるほどの間柄なの?」  香織が探るように、俺の目を覗きこむ。 「いや」  と否定する。 「行かないよ。  香織がせっかく来てくれたんだし」  さらっと言ったつもりだったが、心はあちらこちらに 引っ掛かってすんなり彼女へと向かってはいなかった。 54 俺は自分の気持ちの乱れをごまかすために、香織の髪に手を伸ばした。  染めていない真っ直ぐな綺麗な黒髪。  手入れが行き届いた長い髪は、触り心地が良い。  佐倉先輩の髪はひどい癖っ毛で、寝癖と見分けがつかなかったっけ。 「俺が行かなくても、先輩には誰か付き添っている筈さ」  香織に弁明しているのか?  それとも自分に?  先輩の両親は、駆けつけて来ただろうか。 『あの人達にはあの人達の人生があるからね。  邪魔したくないし』  そんな風に両親に遠慮していた、佐倉先輩・・・。  怪我の具合はどうなんだろう。  だいたい事故って・・・どういう事故なんだ?  状況がさっぱりわからない。 『服部君、こっちへ帰って来れないか。  佐倉のヤツ、この頃、元気がなかったんだ。  でな、この事故もおかしなコトから起こっていて』  工場長が言葉を濁していたのが気になる。 「あの・・・、慎ちゃん」  俺はまたぼんやりしていたらしい。 香織の困ったような声に、彼女へと目を向ける。 「何?」 「私、犬じゃないんだから、そんなに撫でられても。  それに、だんだん力入ってきて痛いし」 「わ、わ、ごめん!」  俺は慌てて手を引っ込めた。 「心配なら行ったら。  私も帰るし」 「いいんだ、俺が選んだのは香織なんだから」  俺の語調が強くなる。 55 「選んだ・・・ですって?」  香織の声が低い。 「それは今?それとも夏合宿で?」 「湖のそばで、俺は自分の気持ちを言ったと思うけど」 「そうね、あの時私もようやく両想いになれたって舞い上がったよ。 だけど・・・」 香織は迷いを断ち切るように首を横に振って、 「本当に私を選んだの?」  と訊いた。 「それは・・・」  俺の滑舌が悪くなる。  こんなに鋭く人を追い詰める娘(こ)だったか。 「慎ちゃん、実は逃げたんじゃないの?」  香織が、勝負に出ている? 「俺が?何から逃げて」 「佐倉先輩」 「あ・・・!」 「今、初めてわかった、慎ちゃんが本当は誰を想っているのか。  慎ちゃん、目の前にいる私を見ていたことなんてなかったよ」 「そんなことない。  香織と会うたびにこんな面もあったんだなって、 新しい発見があって楽しかった。  ちゃんと、君のところを見ていたつもりだ」 「そう、じゃあ、私の勘違いだったのね」  やっと笑顔をみせてくれた香織。  だが・・・。 「なーんて、言うか!?」  という男らしい啖呵を切った。 「はあ?」 「もう、私に逃げるのはやめなさい!」 「香織・・・」 「今ならまだ、私の傷は浅いわ。  でも、今夜あなたとこの部屋で過ごしたらきっと私は」  傷が浅いなんて嘘だ。  彼女は涙で言葉を繋げられなくなっている。 「早く、佐倉先輩のところへ行って!」  香織は両手で顔を覆ってしまう。 「今夜、ここに泊めてね。  こんな顔で家には帰れないから」  俺は、部屋の鍵をテーブルの上に置いた。  56 「警察に追われた滝本が自暴自棄になって、 君を殺して自分も死のうと思った・・・か?  それはヤツが君に、特別な感情を持っていたってこと?」 「・・・」 「石井、神山、野川の三人のことも知っているね?」 「・・・」 「佐倉耕司さん、あなたも連続婦女暴行の共犯ではないのか?」 「・・・」 「我々に本当のことを言ってくれなきゃ、 マスコミが真実でないことまで暴きたてるよ」 有名大学の学生達の犯行だからね、格好の餌食だ」  意識が戻った途端に、警察がずけずけと病室に入って来た。  自分がどんな状況になっているのか わからないまま、彼らに囲まれて質問の嵐−。 俺は言葉を返すこともできずに、ベッドに沈んでいる。 『佐倉、おまえには護ってくれるヤツなんていないんだ』  滝本に言われた言葉が、俺の心を弱らせる。  死にたがっていた滝本はぴんぴんしていて、 共犯者の三人のこともあっさり吐いたそうだ。  そこで警察を戸惑わせているのは、俺の存在だ。  滝本がなぜ俺に執着しているのか。  それは俺の方が訊きたい。  俺は彼にとって、一夜のおもちゃだった筈だ。  まもなく警察は、俺と彼らの関係を知るだろう。 石井のデジタルカメラから“真実”を見るんだ。  あんなものが・・・。 あんな醜悪なものが、白日の下にさらされるのだろうか。  俺はもう一度、屈辱を受けることになるんだな。  そうなった時、俺は・・・俺は、まだ大丈夫なんだろうか。  俺のまわりはどう変わるのだろう。  そうだ・・・真実を知った服部は俺から離れて行ってしまったっけ。  俺を赦してはくれなかった・・・。  だが、一番俺を赦せないのは俺自身なんだ。 57  故郷の駅に着くと、俺は工場長に電話をした。 「服部です。  佐倉先輩の容体はどうなんですか?」 「あ・・・」  と、工場長は戸惑ったような声を発した。 「もしも今、君が佐倉と距離をとって いるのなら、このまま会わない方がいい」 「え?でも、もう俺、こっちへ来ちゃったし」 「そ、そうか、すまない。  私も気が動転して。  佐倉の両親にも連絡がつかなかったし、ほら、前に何か あったら連絡してくれと君に言われていたから、つい」 「いいんです、それで。  ありがとうございました。  で、どうなっているんです?」 「あ、ああ・・・それが」  工場長が言い淀んでいる。 「平気ですから、本当のことを言ってください」 「警察が来ていてな。  何やら佐倉が連続婦女暴行に関わっている、とかって」 「はあ?何ですか、それ?」 「いや、何かの間違いだとは思うんだが」 「間違いに決まってるじゃないですか」 「そ、そうだな。  だが、病院の方は警察とかマスコミとかで ごちゃごちゃしているから、行かない方がいいよ。  私も様子をみているところだ」 「え?じゃあ、今、佐倉先輩のところには 誰が付き添っているんですか?」 「とにかく、悪いな、切るよ。  こっちもこれからいろいろと対応しなきゃならないんで」  佐倉先輩が入院している病院の名を聞き出すのが やっとで、電話は慌ただしく切られてしまった。 58  一刻も早く佐倉先輩の顔が見たくて、 俺は駅前からタクシーに乗った。  真夜中の対向車もいない道路は、タクシーの走る音が異様に響く。 (心細いだろうな)  状況はよくわからないが、今先輩はひとりの味方も いないところで、怖い大人達に囲まれているのだ。  俺が先輩の俺に対する心を疑い、追い詰めたんだ。  馬鹿なくせに、考え過ぎて失敗した。  俺は絶対に自分を赦さない。  タクシーの冷たい窓ガラスに、額をくっつける。  先輩は・・・俺がそばにいることを許してくれるだろうか。    病院では門前払いをされた。 「ご家族以外、このような遅い時間に面会なんてできません。  ましてあの方は」  と言いかけた看護師は女性だった。  彼女も、佐倉先輩のことを婦女暴行の犯人だと思っているんだ。 「佐倉先輩の両親は、ここへは来ません。  親戚もいません。  あの人を護ってくれる人なんていないんです」  彼女の目には、同情の色も浮かんでいない。 「佐倉先輩は、女性に乱暴を働くような人ではありません」 「どうしてそんなこと、あなたが」 「あの人は、自分が暴力を受けてきたから。  だから、そういうことは嫌いだしできないんです」 「え?」 「お願いします、会わせてください。  寝顔だけ見て帰りますから。  無事な姿を確認したいんです」 「あの、あなたは佐倉さんの」 「俺にとって、一番大切な人です」 59  どうして、俺は四人に暴行を受けながらも あんなに頑張ったんだろう。  消灯時間の過ぎた病院の個室で、 俺はぼんやりと天井を見ながら思った。  窓から入ってくる月明かりのおかげで、 室内は暗闇というわけではなかった。  それでも、その中で思い出されるのは 激しい暴行を受けたあの夜のことだ。  そしてその延長線上にある、 車の中で滝本から加えられた暴力のこと。  彼らの悪意にさらされても、俺には守ったものがあったはずだ。 それは何だ?  プライド?  いや、そんなもの・・・。  やっぱり浮かぶのは、服部の顔だった。  彼を好きだという心だろうか。  彼を大切にしたいという心。  それを守ることに、一縷の望みを持ったのか。  それさえ守れば、彼の前に再び立つことができると・・・?  ああ、そうなんだ。  俺はあきらめてはいなかったんだ、服部のことを。  あの時も・・・今も。  あんなにあきらめることに慣れていた俺が。  自分の心とあまりに素直に向き合い過ぎて涙が こみ上げてきた時、病室のドアが静かに開けられる音がした。 60  佐倉先輩の病室は個室だった。  警察の事情聴取があるからだろう。  足音を忍ばせて、彼のベッドに近づいて行く。  遠かった。  再会するまで、距離も時間も。  そうしてしまったのは、俺自身。 「佐倉先輩」  自分にしか聞こえないほどの小さな声で、 久々に愛しい人の名を呼ぶ。  先輩は眠っているようだ。  包帯が痛々しい。  でも・・・生きていてくれた。  それだけで・・・。  あの夜、この人を抱きしめて離さなかったなら。  安堵と後悔が入り混じる。  どうしようもなくて、俺は泣いた。 「何、泣いてるんだ?」  佐倉先輩の声に、俺はベッドを見た。  彼が俺を見ている。 「馬鹿、どうして来たんだよ」  先輩の声に涙が混じっている?  俺は先輩の傍らへ寄った。  ひざまずいて、彼の顔を覗き込む。  傷はあるけれど、初めて会った日から変わらない綺麗な顔だ。  そして、月明かりに光っているのは涙・・・。  気がつくと、向こうも俺の顔をじっと見詰めている。  やばい。  看護師さんには、寝顔を見るだけって言ったけど・・・。  これは・・・。  俺は佐倉先輩の顔に自分の顔を近づけていく。  先輩が目を閉じた。  俺を待っている・・・んだ。  俺は彼の傷ついた唇に、自分の唇を重ねた。  依怙地になっていた俺の想いはとけて、彼に向かって流れだした。 61  病室に誰かが入って来た時、俺は 警察の人間だと思って慌てて寝たふりをした。  びくついていた。  彼らの事情聴取とやらがキツくて、俺は追い詰められていたのだ。  だが、すすり泣く声に驚いてそっと目を開けると、 月明かりの中に立っていたのは服部だった。 「まさか・・・!?」  月が見せた幻か。  もっと彼の姿を良く見ようと身じろぐと、痛みが走った。 「!・・・」  服部の姿は消えなかった。  本物だ。  会いに来てくれたのか。  たとえそれが彼の心の底でくすぶっていた愛情からではなく、 同情だとしても、胸がいっぱいになる。 「何、泣いてるんだ?」  そう服部に訊ねた俺の声にも涙が混じっていて、恥ずかしくなる。  服部が俺を見る。  俺も彼を見詰める。  いい男だなあ、なんて改めて思う。  もう一度、俺を愛してくれないかな。  そんな虫がいいことを考えていたら、服部の顔が近づいてきた。  え? 思わず目を閉じてしまう。  服部が俺の唇に、自分の唇を重ねてきた。  傷ついている唇の痛みさえも、 甘く包んでしまう服部のぬくもり・・・。  心地よくて唇から力を抜くと、服部の舌が入ってきた。  俺の舌を探している。  おずおずと俺が舌を差し出すと、すぐに 服部の舌にからめ捕られてしまった。  きつく舌を吸われる。 「ん・・・!」  まるで、もう離さないというように。  服部、いいのか、本当に、俺で。  俺は・・・おまえの知らない男達に・・・。  服部が俺を抱きしめてくる。  俺も抱きしめたいのに・・・。  懸命に包帯に包まれた腕を動かそうとするが、 俺の手は服部に届かない。  決して、抱きしめ方を忘れたわけじゃないんだ。  もうちょっと頑張れば・・・。 「う・・・痛い!」  服部の唇の中で、俺は体の痛みを訴えた。  何を勘違いしたのか、服部の腕に力が入る。  俺は小さいが鋭い悲鳴を上げた。  焦った服部が、唇を、体を離した。 62 「わ、悪い、服部、傷が」 「すいません、俺、興奮しちゃって」  そして、沈黙・・・。  月の光に音楽があればいいのに。  でないと、俺のこの心臓がばくばくしている音が、 佐倉先輩に聞こえてしまいそうで恥ずかしい。 「服部、どうしてここへ?」 「え?ああ、工場長さんから電話もらって」 「って、何で?」 「俺、お願いしておいたんです。  先輩をひとりにしておくのは心配で、 何かあったら連楽してくれって」 「俺はガキじゃねェぞ」 「す、すいません」 「・・・おまえ、どこまで聞いてる?」  先輩の声に不安の色がある。 「あ・・・先輩が事故に遭ったって」 「事故・・・か」  先輩の声が闇に沈んでいく。  先輩が連続婦女暴行に関わっているらしい ということを聞いたのは、伏せておいた。  だって、それは間違いに決まっているから。 「俺の口から、言わなきゃいけないんだろうな、やっぱり」  先輩のため息と共に吐きだされた言葉。 「え?」 「何があったか」 「あ、いえ、辛かったら無理にとは」  俺の頭の中のどこからか、聞いては駄目だという声が。 「ヘンな週刊誌を通してっていうのは、イヤだから」  先輩が俺を真っ直ぐに見詰めた。  俺は先輩の緊張した覚悟に、唇を噛みしめた。 「楽しい話じゃないよ。  ・・・反吐が出そうな話」  そう言って、佐倉先輩は力なく笑った。 63  反吐の代わりに、服部は涙を流した。 「俺のせいだ。  俺が先輩のそばから離れたから」 「馬鹿、おまえのせいじゃないよ」  俺はうまく動かない手で、服部の涙を拭った。 「おまえを泣かせたいために、話したんじゃない」  うんうん、とうなずく服部。 「あのな、服部、俺の体、綺麗なところ、 残ってないみたいだけど、心は」  あいつらに渡さなかった、と続けようとしてやめた。  その後、「だから、また恋人にしてくれ」と、 服部にすがるつもりなのか? 「ね、佐倉先輩、俺と一緒に暮らさない?」 「え?」  思いがけない言葉に、俺の声が上擦った。  ひとりじゃない家。 「おかえり」と「ただいま」の返事が返ってくる家。  そんな温かい場所を、俺に与えてくれるというのか。  でも・・・。 「それは駄目だよ、服部」 「どうして?」 「今回の事件、マスコミがかなり食いついている って警察の人が言っていた。  俺の無実が証明されても、きっと俺はマスコミの餌食にされる」  無実を証明するものが、あの写真だからだ。  それに加えて、滝本に拉致され殺されかけたことが・・・。 「俺と一緒にいたら、おまえまで滅茶苦茶にされてしまう」  服部が俺の手をそっと握った。 「俺なら大丈夫。  だって、先輩がいるから。  頑張れる。  今度こそ、先輩を護るよ」  恥ずかしいコトをさらりと言ってくれる、この年下の男は。 「ね、先輩はどうしたい?  俺に遠慮しないで、本当のことを言って」  いつの間にか服部は、無邪気な中にも 頼もしい大人の男の表情を浮かべるようになった。  だから、そんなおまえに俺は安心して甘えてもいいかな? 「わかった。  服部、俺は・・・俺の望みは」 (終) ※あとがき  ながーくだらだらな文章にお付き合いいただいて、皆様、ありがとうございました。  訪問してくださった皆様、そして拍手に励まされながら終わることができました。  感謝の気持ちでいっぱいです。  尚、こちらの画像は「MILK CAT」様からお借りしました。  ブログの方にリンクが貼ってあります。