抱きしめたいのに  22〜42話

引き続き暴力的なシーン、BL表現があります。 お気をつけください。  22  冷たい液体の感触に、俺は目を覚ました。 「お!気がついたぞ」  石井が俺を覗き込んでいた。  手にはケトルを持っている。  水をかけられたらしい。 「じゃあ再開」  と、俺の中に入ったままだった野川が、動き始める。  「ね、服部って誰?」  野川が耳元で囁く。  俺の体が強張った。  それに気がついて、野川が面白そうに言ってくる。 「なんか、一生懸命、呼んでたよ。  恋人?でもさ、おまえ、どうすんの?  こんな風にいいように男になぶられてさ。  もう、終わりだよな」 「!?」  野川の言葉が、俺の心をえぐる。  夕刻、振り向きもしないで俺の家から出て行った服部の背中・・・。  それを追うことは、もう許されない。  呆然としている俺の表情を盗み見ながら、 野川は憎しみを俺の中へと吐き出した。 石井が俺の手の拘束を解く。 「もう、抵抗しねぇだろ」  石井が服を脱ぎ捨てて、全裸で俺に馬乗りになった。  その手にはデジタルカメラが握られており、 「頼んだぜ」  と、滝本に撮影を依頼した。 「相変わらずのナルシシストだな」  滝本が呆れて言う。  23  野川が畳の上に寝転んで体の熱を 冷ましながら、皮肉な笑みを浮かべる。 「こいつ、今日親が家にいるっていうのに、 女、引っ張りこもうとしたんだぜ。  冗談じゃないっつうの」 「へへへ、観客がいる方が燃えるじゃん。  ほら、見て!見て!」  石井がその肉体を強調するポーズを作る。  滝本が写真に収める。 「石井、また胸板、厚くなったんじゃねェ?」 「お・し・り・も、セクスィ〜だろ?」 石井は、尻を持ち上げてぷるんと振ってみせた。  皆が笑う。  その光景はこんなことになる前の、 あの友人同士の陽気な会話そのままで・・・。  そこから弾き出された俺は・・・彼らに弄ばれて嘲笑されている。  望んではいけなかったのだろうか、 友達と一緒にわいわい騒ぐことを。  服部の携帯の向こうから聞こえた、 気が置けない人達との会話が羨ましくて。  それが、突然俺にも許されたような 気がしたのは思い上がりだったのだろうか。  なあ、服部、どうして俺はおまえみたいになれないんだろう。 「佐倉」  滝本に呼ばれて、石井に押さえつけられたまま俺は彼を見た。 「人間ってさ、平等じゃないってつくづく思うよなあ」 「な・・・に?」 「同じ年に生まれて、同じ進学校に行って・・・ なのにおまえは負け組。  そして俺達に慰み」 「何が怖いんだ?」 「あん?」 「こうやって他人(ひと)をなぶりものにして、 負け組だと見下して、自分が立っている位置を 確認しなきゃ不安なのか?」  滝本は俺に近づくと、カメラで俺の額を殴った。 「うっ!」  目から火が出るって、こういうことか。 「滝本、カメラ!」  石井が口を尖らせる。 「大丈夫だ、壊れない程度に殴った」 「そりゃどうも」 「石井、いっぱい写真、撮ってやるよ」  滝本が、カメラで殴った俺の額を撫でる。 「ああ、頼むぜ。  なんてったって、これが保険になるんだからさ」  石井が満足そうに、俺を見下ろした。   24  石井が、そのたくましい腕に俺の足を 引っ掛けて俺の中に押し入ってきた。  大きく腰を動かしたり、小刻みに揺らしてみたり、 と余裕で俺の体で遊び始める。 身体を自慢するだけあって、俺の中を 侵略しているそれは俺を苦しめた。 「うっ・・・うっ・・・はっ!」  こらえ切れずに、声が漏れてしまう。  俺はこの苦悶から脱しようと暴れたが、 野川と神山に押さえ込まれてしまった。 「なかなかいいよ、おまえ。  頑張って抵抗されると、こっちも本気になっちまう」  神山が声を押し殺して笑う。  瞬間、部屋の中に目映い光が満ちる。  カメラを手にした滝本が はしゃいで、何枚も写真を撮る。 「こうやって写真撮って・・・女の子達が警察に 被害届けを出せないようにした・・・んだな」  俺は石井の体の下から睨んだ。 「趣味と実益を兼ねている」  と、石井が真面目に答える。  俺の口をこじ開けるようにして、石井が指を突っ込んできた。 「噛んで」 「?」 「ほら、俺が憎いんだろ、噛んでいいぜ」  口の中の彼の指を、上と下の歯の間に挟んだ。 「もっと、強くだ」  そう要求して、石井は乱暴に右へ左へと腰をひねった。 「くっ!」  歯を食いしばる。  石井の指の皮膚が破れて、口の中に血の味が広がる。  途端に石井が、俺の体の中へ深く身を沈ませた。 「はっ!」  俺は石井の指を吐き出した。 「・・・あっ!・・・佐倉、いいぜ!・・・うっ!」  石井が俺の肩を両手で掴んでこらえる。  食い込む爪が痛い。  ひくひくと欲望を吐き出しながら、彼が俺の体の中でのたうつ。  気持ち悪くて、俺は石井から体を離そうとした。 「まだだよ、サクラちゃん、 俺の身体を忘れられないようにしてやるよ」  石井の気障な台詞に、きゃーっと騒ぐ観客達。  25  俺はテーブルの上に、うつ伏せに上半身だけをのせられていた。  テーブルの上の食器は男達に一掃され、畳の上に散乱していた。  テーブルを挟んで反対側から、野川と神山が それぞれ俺の左右の腕を押さえつけている。  滝本は相変わらずカメラを構え、ベストショットを狙っている。  俺は畳に膝をつき、後ろから石井を受け入れさせられていた。 「うっ・・・くっ・・・!」  石井の荒い呼吸が、俺の喘ぐ声と重なる。 「はぁ・・・はぁ・・・佐倉、俺の体、忘れんなよ」  この男は、どういう意味で言っているのか。 「だ・・・れが・・・!くそ・・・!や・・・めろ」  一方的に押しつけられた欲望に、 いいようにされているのが悔しい。  この夜のこと、忘れるわけがない。  生きている限り、悪夢のように俺につきまとうんだ。  おまえ達にとっては、むさぼった数多くの 快楽のひとつに過ぎないのだろうが。  石井の興奮がピークを迎え、俺の背中に ぽたぽたと彼の汗が落ちて来る。  獣がうなるような声を発し、石井が俺の背中の上に倒れこむ。  と同時に、俺の耳に噛みついた。 「いってェ!」  思わず叫んでしまう。 「冷てえ」  熱い呼吸の中から、石井がぼそっとつぶやいた。 「サクラちゃんの体、すっげえ冷てェ。  なになに、俺のテクに燃えてくれなかったのかなあ。  傷ついちゃうぜ」  俺は呆然とする。  こいつら・・・人の痛みというものを想像できないんだ。  安っぽいアダルトビデオみたいな展開を、期待しているのか。  俺や今までその毒牙にかけた女の子達が、 こんなことを悦んで受け入れていると・・・? 26  神山の歯が、俺の耳たぶを傷つけないよう柔らかくかじる。 「あっ・・・!いや・・・!」  ふふ、と神山が耳元で笑う。 「イロっぽい声、出るじゃん」 太り肉(じし)の神山にのしかかられて、呼吸をするのも苦しい。  耳から首筋へと、神山が唇を滑らせていく。  その間、彼のふっくらとした指が、 俺の胸から脇を丁寧に愛撫している。  前の三人が暴力的だったのに対して、神山のその行為は まるで本物の恋人を扱っているようで・・・。 不気味だった。 「ごめんな、こいつら、乱暴で」  優しい言葉も不釣り合いだ。  神山に触れられるそばから鳥肌が立つ。  彼と密着した肌から体温が奪われ、凍えそう。  逆に神山の体は熱く汗で湿っている。  だが・・・この男で最後・・・のはずだ。  欲望を俺の中に放ち終わった他の男達が、 息を潜めて神山が俺をなぶりものにするのを見ている。  俺はぎゅっと目をつぶって、ひたすら耐えた。 「佐倉―、俺、いっつもトリなんだぜ」  俺の胸の輪に沿って、神山が舌を這わせる。  舌のざらつきを俺に記憶させるかのように、 ゆっくりとねっとりと。 「こいつらが抱き終わって汚くなった身体を、 こうして丁寧になめてやってさ」  俺の胸の丸い小さなふくらみが、神山の厚ぼったい口に含まれる。 「はっ・・・!」 「感じている?」  神山の手が俺の腰をたどり、下半身へと伸びる。 「やっぱり・・・全然、その気ナシか。  誰もおまえをノせることができなかった、ってわけだ」  途端に不満を口にする男達。 「俺達のプライド、傷ついちゃうよね」 「佐倉は淡白なのか?」  そんな彼らを無視して、神山が笑う。 「体は好きなようにされても、心だけは ぎりぎり俺達には渡さない、とでも?」 27  神山が腰をひねり、己の足で俺の足を十分に 開かせると、ゆるゆると俺の中へと入って来た。 「くっ・・・!?」  俺は歯を食いしばった。 「痛かったら言って。 優しくするよ」  神山の高い声が囁く。  こいつ、最悪だ。  あれだけ烈しく抱いた三人の後に、こんなに優しく・・・。  その優しさが本物だとすがりつきたくなる。  きっと心も体も弱っている女の子達なら、尚更。  自分に好意を持ってくれると、神山は計算しているのか。 「神山、そんな手、俺には通用しないよ」  俺は上に乗っている男を睨みつけた。 「これは、おまえ達四人で仕掛けた卑劣な行為だ。  俺は誰も赦しはしない」  俺の冷たい声に、神山の動きが止まる。 「ははっ!おまえン中、こいつらの精気でいっぱいだ」  神山の化けの皮が剥げたらしい。  途端に俺をあざける。  そして再び動き始めた。  今度は容赦しないとばかりに、 これっぽっちのいたわりも同情もなく。  彼の言葉を証明するように、俺の下半身からはまるで 沼の中を這いずりまわるかのような音が聞こえてきた。 「いっ・・・つ・・・ぅ!」  痛みと羞恥心で逃げ出したくてたまらない。  そう思えば思うほど、神山のたっぷりとした肉が俺を捕らえる。 「一番最後にヤルとね、こいつらのこともね、 一緒に犯しているような気がするのよ」  神山が、ぐるりと友人達を見る。  彼の発言に、男達がキモイと騒ぐ。 「でもさ、同時に、こいつらの欲望が俺のモノに絡みついてくる」  うっ!と快感に思わず声を漏らす神山。 「で、やっぱ俺も、おまえと一緒にこいつらに 犯されているのかなって思うと、凄く感じちゃう」    28 「あっ!思い出した!」  野川が素っ頓狂な声を上げる。  全ての男達が俺の中に身勝手な欲を吐き出し、 最後の男である神山が身支度を整えている時だった。  俺は指ひとつ動かすこともできずに、畳の上に転がっていた。 踏みにじられた心と痛みの去らない身体を、抱え込むようにして。  男達は裸のままの元友人に、 シャツ一枚掛けてやる温情もないらしい。 「ほら、服部っていう名前、さっき佐倉が呼んでただろ」  野川がしゃがみこんで、俺の顔を覗き込む。 「佐倉ひとりっきりの卓球部に入って来た 俺達の一コ下の子・・・だよな?」  そして俺に確かめるようにゆっくりと、服部の名を口にする。 「はぁっとぉりぃ・・・くん。 正真正銘、『男』だぜ」  石井と神山が、口笛を吹く。 「男が恋人かよ」 「じゃあ、こういうコト、慣れてたんだ」  慣れてるだって?  受け入れているのは、服部だけだ。 「なあなあ、さっき撮った写真、そいつに送ってやろうか」 野川が嬉しそうに言う。  俺は憎しみをこめて野川に手を伸ばす。  その時、滝本が野川を突き飛ばすようにして 俺の前から退かすと、俺の髪を掴んで頭を引き上げた。  野川の抗議の言葉を無視して、滝本は 屈みこむと俺の唇に自分の唇を重ねた。  俺は突然のことに、目を見開く。  滝本は目を閉じて、自分の世界に入っている様子。  彼の意図が読めない。 「おい、滝本!」  石井の声に不機嫌が滲んでいる。 「そういうの、ナシだろ」 「キスするなんて・・・まさか、惚れた?」  野川も驚いて、滝本に声を掛ける。  滝本は唇を離すと、 「わりィ、俺、もう一回」  と俺の目を見ながら言った。 「あれあれ?そんなに良かった?  ま、否定はしないけど」  神山が揶揄する。 29  滝本は乱暴に俺を立たせると、隣の寝室へと突き飛ばした。  友人達が狭く感じないように、 寝室の襖(ふすま)も開けておいたのだ。  滝本も入って来て、寝室の戸を閉じようとする。  が、それは石井の手によって止められた。 「ルール違反するなよ。  こいつは、俺達の共有の獲物だ。  俺達の前でヤルんだ、いいな」  滝本は襖から手を放す。 「電気は消していいか?」  滝本が訊くのに、 「あ、ちっちゃいのだけ点けといて」  と、おどけて返す神山。 「ちょっと淫靡な感じがするよね」  滝本に遠慮したのか、三人の男達は 寝室には入らず、隣の部屋から鑑賞するらしい。  突き飛ばされて部屋の中央に転がっている 俺の上に、馬乗りになる滝本。  素早くシャツを脱ぐと、肌を重ねてきた。 「はは、ホント、おまえの体、冷てェ。  そんなに俺達のこと、嫌い?」  いくら肌を合わせようとも、 彼の体温が俺に染みてくることはない。 「滝本、忘れたのか、これは暴力で始まったんだ。  今、おまえ達に対しては憎しみしか・・・ない」  そう言うと俺は彼を拒絶するように、顔を腕で隠した。  その腕を引き剥がすと、滝本は再び俺に口付けてきた。  舌を強引に俺の口の中へ侵入させてくる。  俺はその舌に噛みついた。  瞬間、血の味がした。 「いってえ!」  口を離す滝本。  手の平で俺の頬を打つ。  なんだよ、滝本。  おまえ、愛して欲しいのかよ・・・。 30  俺の両足が頼りなく宙で揺れている。  滝本の身体がその間で、力強く律動している。 「はぁ・・・はぁ・・・やっぱ、おまえ、いいわ」  ねっとりとした息を吹き掛けてくる滝本から、顔を逸らす。  時折俺の足の向こう、隣の部屋から漏れる忍び笑い。 「ううっ!・・・!」  滝本が俺の中に、卑しい欲を注ぎこんだ感触が伝わってくる。  その屈辱に、俺は唇をきつく噛んだ。  滝本がその熱く汗にまみれた胸を俺の上に落とす。 「・・・なあ、佐倉、俺とつきあわねえ?  俺が、こっちに帰って来た時だけでいいからさ」  それは、隣の部屋の仲間達には 聞こえないように小さく囁かれた言葉だった。 「えーと、服部君だっけ?  そいつ、きっと、このコト知れば、逃げちまうぜ。  だからさあ」 「・・・ろして・・・やる」  かすれた俺の声。 「え?」  滝本が俺の口元に耳を寄せる。 「今度・・・会ったら・・・殺してやる」  自分でも驚くぐらい恐ろしい言葉を、発していた。 本当に殺せるわけ、ないんだ。  男四人を前にして、俺は為す術もなかったじゃないか。  虚勢・・・精一杯の強がりだった。  滝本は一気に熱が冷めたのだろう、 ばっと起き上がるといきなり俺を蹴飛ばした。  一瞬、呼吸が止まる。 「お!どうした?  かわいさ余って・・・ってヤツか?」  などと言ってのんびり笑っているのは、誰だろう。 「おまえの職場に言いふらしてやるよ、男が好きなんだってな。  この小さな町に、おまえの居場所なんてなくなるんだ」  俺はただぼんやりと、喚く滝本を見ていた。 「おまえのこと、叩き潰すの、簡単なんだからな」  もう十分、叩き潰されているよ。 「はは、惨めだな、佐倉。  おまえには護ってくれるヤツはいないんだ。  俺達には、社会的にもちゃんとした地位についている親がいる」  なんだ・・・こいつら。  まだ自分の足で立てない・・・ガキだったのか。  滝本は後ろの石井達を見て、言葉を続ける。 「仲間もいる」 31  ドアが乱暴に閉じられる音で、俺は目を覚ました。  ほんのわずかな時間に、眠っていたのか、 それとも気を失っていたのか。  人の気配はしない。  ヤツらの楽しい宴が、ようやく終わったらしい。  夏なのに凍えそうな体を丸め、俺は自分で自分の肩を抱いた。  体の内からと外からの痛みが、俺をさいなむ。 「痛いよ・・・ォ」  幼子のように、誰かにすがりたくなる。  転んで泣いていた時、慰めてくれたのは 保育園の先生だっただろうか。  母親ではなかったろう。  それとも、そんな優しい想い出はなかった・・・? 自嘲気味に笑う。 すると痛みが走って、思わずうめき声が出てしまう。  今はとにかく、ひとりだから、 自分でどうにかしなくちゃいけないから。  俺は這うようにして、浴室へと向かった。  浴室のタイルに座ったまま、シャワーのコックをひねった。  男達に虐げられた肌を、湯が叩く。  その刺激に、男達の手や舌の感触を思い出す。  俺は慌てて、それを振り払おうと体をこすった。  それから、無理矢理体の中へ埋め込まれた 彼らの歪んだ欲を洗い流そうと、下半身に手を伸ばした。  屈辱にまみれた悲鳴が、水音にかき消されていく。 32 「キス・・・してもいい?」 「いーよ、いちいち訊くな」 「先輩ン中・・・入っても・・・いい?」 「え・・・?中・・・って・・・?」  二人の気持ちが重なった日、ひとつひとつ 確かめながら俺の体を開いていった服部。 『もう先輩ひとりの体じゃないんですからね!』  服部が俺の体を気遣って言った言葉だ。 「ごめん、服部。  おまえが大事にしてくれたこの体・・・酷く扱ってしまった」  服部にもう一度抱かれたら、 あいつらのカラダを忘れられるだろうか。  それはダメだと、俺は首を振った。  あいつの前に出たら、きっと目を伏せてしまう。  ・・・このまま別れよう。  服部からたくさん幸せをもらったと思う。  進学も卓球も家族もあきらめた俺なのに、 服部だけはあきらめられなかった。  そんな自分を叱咤しながらも、俺は彼の笑顔を追いかけていた。  服部を求め、一方では自分の心にブレーキをかける。  彼の優しい言葉に、猜疑心を抱く。  そんな俺を我慢強く愛してくれた服部。  大丈夫。  俺は服部からもらった想い出がたくさんあるから、 それを支えにして立ち上がれる。 ちゃんと歩いて行かれる。 『服部君が、このコトを知ったら』  滝本の言葉が頭をよぎって、俺は息を呑む。  シャワーから降り注ぐ湯と共に、服部との 想い出が流れて行ってしまいそうだった。  そして後には、生々しいあの男達との 悪夢だけが残るのではないか、と俺は震えた。  今夜のコトを知ったら、服部は俺から 自分の想い出を剥ぎ取ってしまうだろうか。 33  まだ日付は替わっていない。  俺はぽつんぽつんと立つ街灯の光を頼りに、 佐倉先輩の家へと急いでいた。  友人達と食事をして家に帰ったものの、落ち着かなかった。  もう遅いから明日の朝一番に先輩の所へ行こうと 思ったけど、このままの気持ちでは眠れそうにもない。 「やっぱ、今日のうちにこのぎくしゃくした関係をどうにかしないと」  道々、友人の女の子達のアドバイスを基に 先輩との会話をシミュレーションする。  でも途中で行き詰まってしまう。  俺も先輩も口がうまい方ではない。 「だから、こじれちゃうんだろうなあ」  と笑ってしまう。  苦い笑いだ。  別れてしまうかもしれない、という考えが頭の隅にある。  それがちゃんとわかっているから、 先輩の家への道のりをこんなに長く感じている。  先輩の家に着くと、カーテンは 引かれていたけれども部屋の灯りはついていた。 「まだ、起きてた・・・か」  ためらいながらも、インターフォンを押した。  ドアに近づいて来る気配がしない。  もう一度、押してみる。  やっぱり出て来ない。  焦れてドアノブに手を掛けると、回った。 「せんぱーい、鍵、掛かってないですよー。  無用心ですねェ」  玄関で、わざと明るく言ってみる。  返事がない。 「えーと、お邪魔しまーす」  遠慮がちに断って、俺は家の奥へと進んだ。 34  居間に入って唖然とした。  つけっぱなしの蛍光灯の下には、惨状が広がっていた。  畳の上に散らばった食器、それにビールの空き缶。  食べ物と酒の匂いが混じり合って、淀んだ空気を作っている。  いつも綺麗に部屋を片付けている佐倉らしくない。 「誰か来ていたのか?  それにしても・・・酷いなあ」  俺が出て行った後、先輩は友人でも呼んで 酒盛りをしていたのだろうか。 「佐倉先輩・・・お酒、飲むんだ」  俺の知っているこの部屋で、俺の知らない先輩が 俺の知らない先輩の友人達と楽しく飲んでいた・・・。  それはちょっとしたショックで、と同時に、腹も立ってくる。 「何だよ、悩んでいたのは俺だけかよ」  廊下への襖を開けると、浴室の方から水音がする。 「先輩!佐倉先輩、いるんでしょ!」  俺の声が尖っていた。  浴室へと向かう。  洗面室兼脱衣所のドアは開けっぱなしで、 すぐに浴室の曇りガラスのドアが見えた。  そのガラスの向こうには、肌色の塊がある。  それに向かって俺は、 「佐倉先輩」  と声を掛けながら、当然のように浴室のドアを押した。  35  ドアが少し開く。  湯気の中の人が、驚いて振り向く。 「先輩、俺」  ドアに飛びつく佐倉先輩。  ドアが凄い勢いで内側から閉じられた。 「ひっ!?」  俺はその勢いに弾き飛ばされそうになり、焦る。  シャワーも止めず、佐倉先輩はドアを押さえた。  曇りガラスに、彼の肌色の影がにじんでいる。 「あ、先輩、ごめん、覗いちゃって。  でも、俺、早く先輩と話をしたくて」  影は動かないし、返事もない。  シャワーの音で聞こえなかったかと、俺は怒鳴った。 「先輩!ごめん!」 「帰れ!」  怒鳴り返した先輩の声が震えている、あの時のように。 『先輩、なんで進学しないの』  部活の時、抱きしめて投げかけた質問に、先輩は顔色を変えた。  俺はこの人を、また追い詰めている? 「おまえは俺を捨てたんだ。  未練がましく、家に来るな!」  曇りガラスの向こう側、佐倉先輩はどんな顔をして喋っているのか。 「先輩、ちゃんと顔見て話そうよ。  これじゃあ、電話と同じだ。  俺、それが嫌でここへ来たんだ」 「話すことは・・・ない」 「部屋で待ってるから」 「おまえがいる限り、俺は風呂から出ない」  取りつく島もない。 「先輩・・・今、俺達の間に、このドアの他に何があるの?」  36  何度も謝罪の言葉を繰り返したが、佐倉先輩は返事もせず、 浴室のドアは天の岩戸と化していた。  依怙地になっているようにしか見えない彼に、 俺もいい加減頭にきてしまった。 「俺のいない間に、男を引っ張りこんで宴会ですか」  友達と言うべきところを、男と言った。  しかもわざと強調して。 「楽しい気分を壊しちゃって、 空気読めなくてすいませんでしたーあ!」  捨て台詞を残して、先輩の家を飛び出した。  カッカしながら大股に歩いていたが、次第に とぼとぼという表現がぴったりな歩き方になってしまった。  先輩を責める言葉と自己嫌悪が、交互に現れる。  川から吹いてくる風が、熱くなっている俺の頭を冷やす。  そうなると、あれ?と思う。 「・・・佐倉先輩の様子、少し変だったよな」  かたくな過ぎる態度は、異常なほどだった。  まるで何かに怯えているような・・・。  そして少し開いたドアから見えた先輩の顔、腫れていなかったか。  殴られたのか?  散らかった部屋を思い出す。  やっぱり友人ともめたのだろうか。  もしかして、俺とのことが原因で やけ酒をあおって、その果てに喧嘩をして?  それで虫の居所が悪かっただけなのかも。  俺はとってもポジティブな結論を出そうとしていた。  37  服部の声が聞こえたような気がして、焦った。 声を上げる前に、浴室のドアが開いた。  慌ててドアに飛びつくと、大きな音をたててドアが閉まる。  全然心の準備ができていなかったから、 服部の顔が見えただけで凄く戸惑ってしまった。  少し時間がずれていたら、俺の醜態を服部に見られていた。  ぞっとする。  浴室の鏡に、俺の姿が映っている。  酷い姿だ。  男達になぶられた痕に、顔を背ける。  曇りガラスの向こう、服部の手がぼやけて見える。  ドアを押さえるふりをして、その手に自分の手を重ねた。  彼の手に抱きしめられたい。  そして俺の手で、おまえを抱きしめたい。 「先輩・・・今、俺達の間に、このドアの他に何があるの?」  服部の問いに答えられない。  以前は、その答えは俺の『怯え』だった。  だが、今はもっと醜悪なものが俺達の間に横たわっている。  彼の知らないところで起きた現実。  俺の中だけに残された悪夢。  優しいあの子のことだから、一緒に 背負い込もうとするかもしれない。  そうしてくれたら、俺は・・・。  ドアを押さえる手から少し力が抜ける。  たとえば、何もなかったような顔をして、 今までと同じように彼のそばに・・・。  だが、思い直して再びしっかりとドアを押さえた。  そんな大人のずるいやり方、俺はまだ知らない。 38  曇りガラス越しに、離れて行く服部の背中を見送った。 「俺のいない間に、男を引っ張りこんで宴会ですか」  そんな彼の捨て台詞は俺の胸に刺さったまま・・・抜けやしない。  味方を失って世界にたったひとりで 残されたような、そんな心細さを感じる。    浴室を出て、部屋を片づけ始めた。  部屋の中に男達の臭いがこもっているようで、窓を開ける。  外の空気がいつもよりも清浄に思える。  割れた食器、空き缶、散乱した料理、引きちぎられたシャツ・・・。  のろのろとした動作で、それらをゴミ袋に移して行く。  酷く疲れていたし体中が痛いのに、横になって休むことが怖かった。  まだあの男達の体の感触が抜けない。  気持ち悪くてみじめで、俺はその感触と男達の残像を こそげ落とそうと手で体をこすった。 「もう、大丈夫だから」  と、何の根拠もない「大丈夫」という言葉を繰り返す。  網戸が開く音がした。  俺は体を強張らせて振り向いた。  畳の上に、服部が立っていた。 「な・・・んで?」  かすれて、うまく声が出ない。 「佐倉先輩・・・喧嘩した・・・だけなんだよね?」  服部は俺を凝視したまま、念を押した。  今にも泣きそうな、情けない顔をしていた。  それとも、怒っているのだろうか。 39  俺は服部から目を逸らして、部屋の片づけを続けた。  もう、浴室へ逃げることもできない。  俺の手を、服部の手が掴む。 「あっ!」  その乱暴さに、俺は思わず小さな悲鳴を上げた。  生々しい男達の記憶が、俺の体を這いずっていく。  体が震えてしまう。  服部は俺を、自分の正面に向かせた。  服部の顔を見る勇気がない。  俺はうつむいてしまった。  服部の指が俺の顎を持ち上げる。 「殴られて」  服部の指先は更に、俺の傷をひとつひとつ 確かめるように首へと下りて行く。  服部の緊張した手が、俺のシャツのボタンにかかる。  このまま動かず、彼に全てを見せてしまおうか。  上から順々にボタンを外していく服部。  俺は目を閉じる。  この後のことは、服部に任せよう。  おまえが決めてくれ、これからの二人の行く末を。  俺はこすっからい逃げ道を選ぼうとしていた。 「こ・・・れは」  服部が息を呑む。 「ひどい・・・」  男達が俺の体に残していった醜い痕を、見つけたらしい。 「下も・・・見せて」  服部の言葉に、俺は慌てた。  ズボンにかけられた服部の手を振り払う。 「やめろ!」  さすがに耐えられなくなり、俺は 体をひねって彼から逃げようとした。  が、強い力で引き戻される。 「嫌だ!」  服部・・・おまえが怖い。 40  服部の胸に抱きしめられた。 「え?服部・・・?」  いいのか?  俺のこと・・・赦してくれるのか。  いけない、と思いつつ期待してしまう。  手を伸ばして、服部の背を抱きしめようとした時だった。 「何が・・・あったの?  俺が出て行った後」  俺の手が止まる。    服部の背中が遠くへ行ってしまう。  服部、本気で訊いているのか。  この身体を見たのに。 「話して」  服部が促す。 「・・・おまえを追って家を出た。 そうしたら、高校時代の友達に遇って」 服部は表情を動かすことなく、俺の話を聞いている。  俺の口から、全てを聞きたいのだろう。 「酒を飲むのに場所がないって言うから、この家に連れて来て」  これは復讐だ、服部の。  彼を愛しながらも、いつかは 離れて行くのだろうと疑っていた俺への。 「最初は、普通に話して・・・笑って・・・ 高校の時よりもずっと親しく」  服部のように、たくさんの友人に 囲まれているようで心地良かったんだ。  俺・・・服部に相応しい人間なんだって勘違いしたのかも。 「・・・で・・・いきなり押し倒されて・・・。  抵抗したけど、相手は四人で・・・」  もう無理だった。  あの男達の嘲笑が、暴力が俺をさいなむ。  これ以上、話せなくなってしまった。 「自分で入れちゃったんだ、家の中に。  じゃあ、先輩にも隙があったってことだよね」  服部にそう言われると、俺はうな垂れるしかなかった。  もう、服部は俺の味方ではないんだな。  大丈夫・・・あきらめることには慣れてる・・・はずだけど。 41  俺はまた佐倉先輩に、余計な告白をさせてしまった。  自分が先輩に対して、恋人に対して、 こんなに冷たい仕打ちができるのかと驚いていた。 俺は、抱きしめるだけでよかったんじゃないのか。 抱きしめた時、彼の体が震えたのが 気に食わなかったというのだろうか。 俺のところを先輩が、陵辱した連中と 同じように見ていると苛立ったんだ。  だからといって、告白させて苦しめる必要などなかったのに・・・。  彼の口から真実を聞き出すことを望んだのは、 サディズムにでも走ったか。 『高校時代の友達』『家に連れてきた』『相手は四人』 先輩の吐き出した言葉に、いちいち反応してしまう。  腹を立てたその気持ちは、先輩に向かってしまった。 「先輩にも隙があったってことだよね」  俺はうつむいてしまった恋人を慰める、心の余裕などなかった。 「俺は・・・どうしたらいい?」  先輩に訊くことではなかった。  どろどろとしたモノが、俺の心からあふれて止まらない。 「おまえが・・・」  律儀に返そうとする佐倉先輩。 「おまえが離れて行ったとしても、恨まない。  むしろ、当然だと思う」  もっとあなたが俺を貪欲に求めてくれたら、そうしたら俺は。 「きっと、俺はこれからもおまえに 抱きしめられてもおどおどすると思う。  思い出してしまうんだ。  それって、やっぱ、キツイだろ」  そう言って、先輩はちょっと笑った。  そのぎりぎりの笑顔からすっと視線を逸らして、俺は立ち上がった。  先輩に背を向けて、入って来た窓の方へ行く。  靴を履く時、ちらりと先輩を窺う。 彼もまた背を向けて、俺を見送ることなく 再び部屋の掃除に取り掛かっていた。  先輩の背中が、小さくもろく見える。  別れてほっとするのは、彼の方のような気がした。  この時俺達は、同時に互いの手を離してしまったんだ。 42  休日を挟んで、工場に出勤した。  顔の腫れはだいぶ引いたが、それでも皮膚の色が 変わっているので工場の人達に心配された。 「ちょっと喧嘩しちゃって」  と笑って答えれば、 「男の子はそのぐらい元気がなきゃ」 などとやはり笑って返された。  そのお気楽な笑顔と俺が無理に作った笑顔の間に 距離を感じて、俺は彼らを嫌悪してしまう。  俺のぴりぴりした心とは反対に、 工場はのんびりとした朝を迎えていた。  島田さんは、大きな愛妻弁当を抱えて出勤。  松波さんは誰かを捕まえては、孫の自慢話を始める。  一番早く出勤して来た工場長は、娘さんからの 誕生日プレゼントのマグカップでコーヒーを飲んでいた。  工場長に呼び止められ、豆から淹れたそれを俺もご馳走になった。  まわりは何も変わっていないのに、 俺だけが変わってしまった・・・。 そんな居心地の悪さに、俺はコーヒーを 味わうことなく胃の中に流し込んだ。 「佐倉、それ、慎ちゃんか?」  工場長が俺の顔を指す。 「いえ」 「何かトラブルだったら」 「本当に!」 「ん?」 「知らないヤツと、喧嘩しただけですから」  お願いだから追い詰めないでほしい。  やっとの思いで、仕事に出て来たのだから。 「・・・そうか」  俺はコーヒーの礼を言って、工場長から逃げようとした。  その時、電話が鳴る。 「誰だ?こんな早くから」  ぶつぶつ言いながら工場長が電話を取った。 「はい、もしもし、おはようございます」  しかし、「もしもし!」と、工場長は 幾度か受話器に向かって怒鳴った。  舌打ちして受話器を置く。 「何も言わないんですか?」  俺が訊く。 「ああ。まったく朝っぱらからご苦労なこった。  きっと女の家を探してるんだ。  この前ウチで、娘が電話に出たら 『パンツ、何色ですか?』って訊いたって。  まったく、おちおち電話にも」 『おまえの職場に言いふらしてやるよ』  滝本の捨て台詞を思い出す。  無言電話・・・まさかアイツらじゃ?  大丈夫、アレはただの脅しだ。  俺のことは、一度きりの遊びのはずだ。  そこまで執着などしていないさ。 (つづく)