暗澹(あんたん)前編 −ヒョーゴとキュウゾウ−

ヒョーゴは気配を感じて、窓際に立った。 階段の踊り場の窓から、中庭が見下ろせる。 夕闇が迫り、庭園にもぽつぽつと灯りが灯り始める。 ここには、様々な木が移植されている。 庭師が全国を回って、特に美しい木々を掻き集めてきたのだ。 だから、その1本1本が自己主張をし過ぎていて、和がないのだ。 だが、アヤマロはこの豪華な庭園を気に入っている。 そんな木々でも秋の風には敏感で、その葉を色づかせている。 しかし、街なかのぬるい空気の中では、 紅も黄もどことなくぼんやりとした色合いである。 「キュウゾウ・・・戻ったか」 ヒョーゴは眼鏡を上にちょっとずらすと、そう呟いた。 一際大きな木の前に、キュウゾウの姿があった。 金色の髪に紅い上着の出で立ちは、ライトアップされた庭によく映える。 木の葉は昼間よりは、深い紅に見えた。 キュウゾウの両の手にはそれぞれ、刀が握られている。 キュウゾウから発せられる気が、刀に伝導して震えている。   緊張感の中、ヒョーゴはキュウゾウの姿を息を詰めて見守った。 閃光が走ったと思ったら、キュウゾウは既に大木の向こう側にいた。 「み、見えなかった・・・」 ヒョーゴは呻いた。刀の動きは、光としてしか見えなかったのだ。 キュウゾウが刀を上と下から背中の鞘に収めると同時に、 木はバラバラになって崩れ落ちた。 紅い葉がキュウゾウの体に降り掛かる。 それは全身に返り血を浴びているようだ。 「あの木に誰を重ねていたのか?」 ヒョーゴは目を細める。 キュウゾウが歩き出した時、 向こうから庭師が転がるように走って来るのが見えた。 キュウゾウと擦れ違う時、何か言おうとしたが・・・。 「言えないだろうな」 とヒョーゴは笑った。 あの庭師がアヤマロに告げ口をしたとしても、 彼はキュウゾウを咎めたりはしないだろう。 諦めもあるだろうが、御前はキュウゾウを気に入っているらしい。 余計なことを一切言わず、淡々と仕事をこなして行く彼を買っているのだ。 但し、同じ用心棒仲間にはキュウゾウはすこぶる評判が悪い。 彼の個性を受け入れる度量は、彼等にはないらしい。 キュウゾウに対して嫌がらせもあったが、そちらの技量も彼等にはなかった。 虹雅渓(こうがきょう)の至る所にアヤマロの間者が放たれているが、 彼等がキュウゾウの噂をヒョーゴの耳に入れた。 無法者達を斬っている割には、その剣は荒んだものではなかった。 寧ろ麗雅と称したい程、美しく品格のあるものだった。 ヒョーゴはその剣を地下に埋もれさせてしまうのは惜しいと思い、 自分が保証人となってキュウゾウをアヤマロに会わせた。 生い立ちを訊いても答えず、履歴書も白紙のままキュウゾウは彼に雇われた。   そんな昔のことを思い出しながら、ヒョーゴは階段を上って自室に入った。 農民に雇われたサムライとどう片をつけて来たのか、 キュウゾウが報告に来るのを待とうと思ったのだ。   だが、数十分後ヒョーゴは苛々しながら再び、その扉をくぐることになった。 「俺が馬鹿だった。あいつが、自分から報告に来る訳がなかった」 ヒョーゴは廊下を、キュウゾウの部屋へと大股で歩いて行く。 ヒョーゴとキュウゾウの部屋は、アヤマロの居室を挟んで両側にある。 何かあった場合、すぐに駆けつけられるように。 数いる用心棒の内、 彼のこんなに近くに部屋を貰えたのはヒョーゴとキュウゾウのみである。   ヒョーゴはここまで出世したことを満足に思い、 これからもこの安泰が続くことに何の疑問も感じていない。 「俺だ、入るぞ」 そう言うと、ヒョーゴはノックもせずにキュウゾウの部屋へ入って行く。 バスルームからシャワーの音が聞こえる。 夕闇に飲み込まれようとしているその部屋には、作りつけの物入れ、 ベッドとその傍らに刀掛けがある位で家具らしい物はない。 要するに、この部屋を与えられた時のままなのである。 ヒョーゴは部屋の明かりを点けてはみたものの、 あまりの殺風景な様子に寂しくなってすぐに消してしまった。 窓にほのかに映る虹雅渓の街の灯りが装飾となって、 部屋が暗い方が温かさを感じる。 (いつここの住人がいなくなってもいい、そんな部屋だ) とヒョーゴは不安に思う。 それに比べて、彼の部屋は日一日と物が増えて行く。 アヤマロからの賜り物や顔馴染みの組主やかむろ衆からの付け届けなどは、 箱のまま積んであったりする。 街へ出た時には、本やら骨董品やらを買い込んで来る。 それらを1つ1つ棚に飾っては眺めている。 自分の部屋に、ヒョーゴは愛着がたっぷりである。 ヒョーゴはバスルームの方へ行き、ドアに手を掛けた。 「ヒョーゴ」  中からキュウゾウの声がした。 「あ・・・ああ。話がある」 そう言うと、ヒョーゴはベッドに腰掛けて彼を待った。 ふと見ると、膝の上に蒼い光が落ちている。 窓の方へ目を向けると、もう月が上がっている。 月を眺めるのは久し振りだとヒョーゴがその蒼さに見入っていると、 バスルームのドアが開いてサッと眩しい光が射し込み、すぐに消えた。 白いバスローブに身を包んだキュウゾウが、タオルで髪を拭きながら部屋に入って来た。 「米で雇われたサムライ、どうだった?」 ヒョーゴは侮蔑の思いをその言葉に込めて、キュウゾウに尋ねてみた。 キュウゾウはタオルの隙間から彼の紅い瞳をヒョーゴに向けたが、何も言わない。 戸惑っている様子だ。 「・・・討ち損じたか」 「いや」 「では・・・?」 「再び剣を交えることを約した」 「はあ?」 キュウゾウは窓際へ行って、下方に広がる妖しく輝く街を見詰めた。 「サムライを捨てずに生きている奴がいた。そいつが俺を『サムライ』と呼んだ」 ヒョーゴも立ち上がって窓際へ行き、キュウゾウの隣に立った。 そして街を見下ろした。上から見る景色は格別だ。 自分は、下の方で這い回っている貧乏サムライ達とは違う。 ヒョーゴは、キュウゾウにも同じ気持ちであることを望んだ。 「俺達は、もうあんな生活には戻れないだろ」 「お前はな」 間髪を入れずに返って来た答えに、ヒョーゴはキュウゾウに探りを入れた。 「そのサムライとは、決着をつけたいだけなのか。それだけ・・・なんだよな」 返事がない。ヒョーゴは隣のキュウゾウを見た。 彼が美しい月の光の中で、何か決心してしまいそうで怖かった。 この寒々しい部屋が物語っている。キュウゾウは、この暮らしに執着していない。 いつでも捨てることができるのだ。 「行かせるものか!」 もう、キュウゾウがすぐにでもここから飛び出して行ってしまうような錯覚に襲われて、 ヒョーゴは彼の体をきつく抱きしめた。 「あっ!?」 キュウゾウが咎めるように小さく叫んだのも無視して、 ヒョーゴは無言で彼をベッドまで引き摺って行く。 ヒョーゴの方が体格が良い。 がっちりと彼に抱え込まれたキュウゾウは、 為す術もなくズルズルと引き摺られて行ってしまう。  ヒョーゴはベッドへ自分の体ごとキュウゾウを投げ出した。 ヒョーゴの長い髪を止めていた簪が飛んで、床の上に転がる。 月の光で青白く輝くシーツの上に、 キュウゾウの金色の髪とヒョーゴの黒い髪が交じり合って広がった。 もがいて、何とかベッドの外へと逃げようとするキュウゾウ。 そうはさせまいと苛立ったヒョーゴは、キュウゾウの右頬を、続けて左の頬を殴りつけた。 キュウゾウは抵抗を止めた。 乱れた髪が目に掛かっているから、彼が何処を見詰めているのかヒョーゴには分からない。 その方が良かった。 今、彼の目を見てしまえばきっと後悔するから。 2人の荒い呼吸が、暗い部屋に響いている。 ヒョーゴはキュウゾウの体を、ベッドの中央へ据えた。 「好きに」 「するさ!そのサムライに渡す前に、お前をボロボロにしてやる」 ヒョーゴはキュウゾウの体の上に、自分の体重をゆっくりと掛けて行く。 何もない部屋で、何も考えずに友を汚す。寂しいことだとヒョーゴは思う。 バスローブを引き下げて、キュウゾウの首筋に舌を這わせた。 「!?」 ヒョーゴは顔を上げた。 「お前、血の味がする」 月の光に照らして目を凝らすと、キュウゾウの左の首筋に刀傷を見つけた。 「向こうにも同じ傷(もの)がついている」 キュウゾウは傷に手を遣り、そう言った。その手をヒョーゴは叩いた。 「運命だなんて、思っているんじゃないだろうな。 だったら、俺とお前がこの雑多な虹雅渓(まち)で巡り会ったのも運命じゃないのか。 その男よりも先に、俺に遇ったんだぞ。だから今があるんだ」 キュウゾウは髪を掻き揚げた。彼の紅い瞳は暗く沈んだ色をしていた。 ヒョーゴは、それに引き込まれながら彼の言葉を待つ。 「お前は嘘をついた」 「何?」 「御前のもとでならば『生きられる』と、そう言ったな」 「現にこうして、生きているではないか」 そして、いいことばかりをキュウゾウの前に並べ立てた。 「いい服を着て、いい物を食べて。その気になれば女だって、選取り見取りだ」 言いながらヒョーゴは、そんなものはキュウゾウの前で空回りしているようで、虚しくなって行く。 思わずため息をつくと、彼の力が僅かに抜けた。 と、キュウゾウが動いた。 ヒョーゴは慌ててキュウゾウの体に巻きつけていた腕に力を込めたが、 キュウゾウは彼をしがみつかせたまま上半身をベッドの外へ出した。 空を斬る刃の音に、ハッとなって顔を上げたヒョーゴの喉元に切っ先が突きつけられた。 「ひっ!?」 キュウゾウが刀を抜いたのだ。 月の光を受けて冷たく光るそれを真正面から見て、ヒョーゴは美しいと思った。 それから、その刀を握るキュウゾウへと目を移した。 キュウゾウも真っ直ぐにヒョーゴを見ている。 どの位そうしていただろうか。乱れた2人の呼吸が、重なる程に静かになっていた。 「殺(や)れよ。そのまま突くがいい」 ヒョーゴはキュウゾウの目を強く睨んだまま、その刃にぐっと喉を近づけた。 ヒョーゴの喉に痛みが走り、シーツの上に彼の血がポタリと落ちた。 その時刀が揺れた、微かに。 (迷っている?キュウゾウが) 信じられなくて、目を細めたヒョーゴの喉元から刃が離れ、 そのままそれはキュウゾウの首筋に突きつけられた。 「なっ!?」 ヒョーゴは狼狽した。キュウゾウが自分の首に刀を当てたのだ。 自分を睨んでいる目はきついが、ヒョーゴはその目の中に悲しい色を見てしまう。 だから慌てて彼を止めた。 「よ、よせ!」 しかし、キュウゾウは刀を引かない。 「わかった・・・」 ヒョーゴはキュウゾウの瞳から目を逸らさずに、のろのろと彼から体を離しベッドから降りた。 キュウゾウはまだ刀を下ろさない。 「お前を傷つけて・・・悪かった」 ヒョーゴは戸口へと向かった。 「この次、島田カンベエと会う時」 キュウゾウの低いがはっきりとした言葉に、ヒョーゴは足を止め振り返った。 「俺は、潔く立っていなくてはならない。一点の曇りもなく、だ」 ヒョーゴは廊下に出て、ゆっくりと部屋の扉を閉めて行く。 キュウゾウがやっと刀を下ろすところが見えた。 (キュウゾウ・・・何と、冴え冴えと輝いたものか。 ぬるい空気の中で色褪せてしまったのは、木々だけではなく、俺も・・・か) 廊下を歩き出すと、長い髪が邪魔になった。 簪を、キュウゾウの部屋に忘れて来たことを思い出す。 (みっともないことを・・・。この次は、迷わずに俺を斬るか、キュウゾウ) ヒョーゴは自己嫌悪に陥りながらも、それでもキュウゾウが今夜は迷ってくれた。 そんな陰鬱な喜びが心の襞に引っ掛かっていた。                  (後編に続く)