Darkness

−闇を身の内に宿す男と闇を身にまとう女と−

 その夜、最近贔屓(ひいき)にしている店の暖簾をくぐると、 いつもの仲居ではなく、見たことのない女が出て来た。  しかも彼女は何をやっていたのか、 バドミントンのラケットを後ろ手に隠した。  俺の警戒心が、囁く。 「今日は、止めた方がいい」  きびすを返そうとすると、 「先ほどから、お待ちですよ」  と、仲居が微笑んで言った。 「待っている?誰が?」  まだどの女とも、馴染みにはなっていない。  笑みは仲居の顔から消え、澄まして、俺の動向を黙って待っている。  俺は上がりがまちに、足をかけた。  仲居は部屋が並んでいる二階ではなく、 一階の廊下を先に立って歩いて行く。  奥へ奥へと進むにつれ、廊下は暗くうそ寒くなっていく。 「おい、こんな所に部屋が」 「こちらです」  仲居は廊下の突き当たりの小さな戸の前で、立ち止まった。  そして用は済んだとばかりに、その戸を開けもせずに行ってしまった。  心づけを渡す暇もない。  いや、と俺は心に引っかかりを感じる。  店に入って来た時から、仲居の態度にはこの種の商売の強引さがない。  選ぶのは俺次第、といった態度だった。  今も・・・そうだ。 この戸を開けるのは、俺の気持ち次第ということか・・・。  俺は、襖に手をかけた。  からりと乾いた音をたてて戸を開けると、 部屋の中は真っ暗で何も見えない。 「ちっ!女め、たばかったな」  だが、煙草の匂いがする。 「誰かいるのか?」  よくよく目を凝らして見ると、部屋の中央あたり だろうか、ぼんやりとした灯りらしきものがある。 「今時、行灯(あんどん)かよ」  衣擦れの音に、俺は身構えた。 灯りの輪の中に、人の顔が現れる。 「女・・・か?」  俺を真っ直ぐに見詰めてくる女。  その目に行灯の灯りが映って、きらきらと光っていた。 「おまえか、俺を待っていたというのは?」  女は俺から視線を外すと、煙管(キセル)に口をつけた。  吐きだされた煙が、女の顔をぼんやり隠す。  俺は女の側へ行って、腰を下ろした。  彼女は黙って、自分が吸っていた煙管を俺に差し出した。  その手は、まるで闇の中ににじんでいるようだった。  女が何も喋らないので、俺が独りで喋ることになる。  ぽつりぽつりと、つまらない思いついたことを並べて いただけなのだが、随分と喋ったような気分になる。  普段、周りにいる奴等がうるさいぐらいに喋るものだから、 こんなに人に話をしたのは初めてだった。  なのに、女はつまらなそうな顔をして、 煙管をふかしているだけだった。  こちらばかりが機嫌をとっている気がして、腹が立つ。  こんな愛嬌のない女は、こりごりだ。  行灯の油が切れ、その炎が消えると、俺は部屋を辞した。   次の日の夜、再びあの仲居に案内されて、部屋の前に立った。  襖を開けると、女は昨夜と同じ場所にいた。  煙草盆を引き寄せて、煙管を取る。  俺はその隣に、行儀悪く座った。  視線を落とすと、着物の裾から女の足袋も 穿いていない白い素足が覗いていた。  くっきりと闇と分けるような白さではなく、 闇の中に溶かしたような白だった。  彼女が差し出した煙管を受け取らず、その 爪先(つまさき)に俺はそろそろと手を伸ばした。  切りそろえられた足の爪を、ひとつひとつ指でなぞる。  女は俺の好きなようにさせておいたが、時々くすぐったそうに震えた。  初めて女の感情を見たようで、俺の心がざわついた。  女の足が、僅かにずれた。  そこに隙ができた。  俺は素早く、着物の裾から手を入れる。  途端に、女の足が強張った。  俺は半ばのしかかるようにして、女の首筋に口づけた。  白粉(おしろい)の濃い匂いが、鼻をつく。  きつく女の肌を吸った。  とがめるように女の手が伸びてきて、俺の左目を覆う包帯に触れた。 「包帯をとってみな。 俺の左目、あんたにだけ、見せてやるよ」    三日目の晩、女はやはりあの部屋で、俺を待っていた。 「来るかどうかわからない俺を、どうして待つ?」  彼女が俺以外の客をとっていないのは、匂いとか肌の様子で察せられた。  自分でなければ、こんな無愛想を通り越した 偏屈な女の相手などできないだろう。 「別に、自慢することでもないよな」  苦笑いがひとつ、口元に浮かぶ。  浮かばせたまま、女の体を引き寄せて、その唇に俺の唇を重ねた。  暖房もない部屋で俺を待っていた女の唇は、 凍(こご)えて氷のようだった。  闇に温度があるとしたら、こんな冷たさだろうか。  俺の唇から女の唇へと、体温が移っていく。  闇を拒絶せず、むしろ受け入れるかのような彼女の唇は、 紅(べに)の色が、行灯の灯りに映えて美しかった。  日の光の下では、きっと色あせて見えるのだろうな。  彼女はずっと、闇の中に隠しておくべきだ。  だが、闇とは光があってこそのもの。  彼女のまとっている闇を作っている光とは、何だろう。  俺はといえば、闇を光の届かない身の内へと、取り込んでしまった。  この闇も、彼女の中に入ってしまえばいい。  一層強く唇を求める俺についてこれず、 女の手はだらりと畳の上に落ちた。  ようやく彼女の唇を解放してやると、闇の中に 浮かぶ、彼女の濡れた瞳が俺をじっと見た。  気だるそうに手が伸びてきて、俺の唇をこすった。 「紅が、ついたか?」  更に拭おうとするのを、俺は女の手をとって止めた。 「いい、このままで」  夜明け近く、俺は店を出た。  ようやくまわりの景色が、うっすらと浮かび上がってくる時刻だ。  そこへ無粋にも、強い光をあてる者がいる。 「真選組だ! 高杉晋助!神妙にしろっ!」 「ふん、キャンキャンうるせエんだよ、幕府の犬め」  俺は、刀を抜いた。  同時に、俺の中の闇が獣の形をとっていく。  俺の気を感じたのか、真選組も刀を 抜いたものの、距離を詰めてこない。 「今日は幸先(さいさき)がいいねえ。 さァて、何人斬ってやろうか」  その時、ひとつの凶暴な気が、俺に向かって 真っ直ぐ突っ走って来るのを感じた。  刀を心臓をかばうように持ち上げた時、そこへ打ち込まれた。  刀がぶつかり合って、火花が散った。  危なかった。  もう少し遅かったら、心臓を一突きにされていただろう。 「高杉!なめんなよ!」 「副長!」 「へえ」  と俺は感心した。 「おまえが、鬼の副長、土方十四郎か。 噂通りのくそ度胸だな」  気に入らねエ。  こいつが現れた途端、真選組の空気が変わった。  ビビりまくっていたこいつらが、自信を持って刀を握り直した。  まずい展開だ。  俺は、土方を押し戻そうとする。  踏ん張る土方。  俺が押す。  刀が、ガチガチと震える。  それがすっと力を抜いて、俺から離れた。 罠か、と心の中で舌打ちした時、 「縄をかけろ!」 と、土方が怒鳴る。 四方八方から、縄が俺に向かって飛んで来た。  俺の足に、手に絡みつく縄。 「くそっ!」  ありったけの力で、それを振り払い、切り払った。  そして地面を蹴って、土方に襲いかかった。  彼は振り下ろした俺の刀を、頭上で受け止める。  俺達は、再び二人きりになった。  俺はにやりとして、先ほどから 気になっていたことを、彼にぶつけてみた。 「副長さん、唇に紅が残っているよ」  口に出して言ってしまって、揺れた心は、 俺のものか、土方のものだったか。  どちらにしろ、彼の表情は変わらなかったし、 俺はただ愉快そうに笑っただけだ。  俺は、身を翻した。  四日目の夜、俺は再び店を訪れた。  今度は以前、顔馴染みになっていた仲居が出て来た。  彼女は俺を、二階の部屋へと案内しようとする。 「いや、こっちだ」  俺は暗く寒い廊下を、奥へとずんずん進んで行く。 「え?お客さん、そっちは」  慌てて、仲居が追いかけて来る。  廊下の突き当たりの小さな部屋の前に立った。  いつものように、からりと襖を開ける。  部屋の中には、やはり闇があった。  しかし、そこには女の姿はなく・・・。 「お客さん、そこは布団部屋ですよ」  仲居が、後ろから声をかける。  女は光の中へと帰り、闇だけを置いていった。  俺はその闇を拾い上げて、身の内に重ねた。    (終) ☆ あとがき  恐れ多くも、谷崎潤一郎先生の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」 という本にヒントを得て書いた作品です。  ほんと、すみませんでした。